先日の記事ですが、以下のようなコメントを貰いました。
この記事の主旨からはズレますが、 ファッション誌についての引用です。 AV監督、二村ヒトシの 「なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか」 より ファッション誌やウェブサイトには、「恋する女性は美しい」とか「愛されメイク」「理想の女性像」といった特集が沢山ある。 なぜ、女性向けメディアはそんなにも女に「恋をさせよう」「可愛くなる努力をさせよう」とするのだろうか? それは、女性向けメディアというものは、女性に服や化粧品を売るための広告だからである。 「愛されたい」という女性のナルシズムを強めて「恋をさせる」のが、消費につながるからだ。
赤い口紅や肌の露出や大きい胸の強調は性的な意味で男性の目を引くのですが、それだけでは本来女性が求める男性の気を引く形ではないのと、女性同士のマウンティングも絡んでのファッション誌であり、
そもそもファッション業界があるのは
ヨーロッパの貴族文化うんぬんといった歴史的背景があるわけですが、その辺を無視するとすると、
裕福になって消費に余裕があった場合、綺麗な格好で男をだませるので、少しでも優位になるためというどうしようもない理由は変わらないわけです。
しかし、ファッション業界で根本的に無視されていることがあります。
そもそも似合う服は人によって異なるという点であり、それは試着してみないとわからないという点です。
さらにもっと大事なことですが、自分がそのファッションでどのように見えるかは実は本人が一番分からないにもかかわらず、ファッションの最終決定権はその本人にあるという矛盾です。
この事実から、論理的に導き出される答えは一つだけです。
子供の頃、子供のことをいちばん理解してくれているのは親であることが多いし、できれば、そうあるべきですが、大人になってくると、親の知らない友達も増えてきますし、職場のことも親には分かりません。
で、大人になってからのたたずまいや話し方、興味のあることまで一番理解しているのはれんモスなので、実はファッションはれんモスに選んでもらうのが実は一番いいんですよ。
多少れんモスの自分好みというバイアスもかかりますが、彼氏と違ってれんモスは複数いるのが理想的なので総合的に自分に似合っているファッションや色使いというのが分かってくると思います。
自分らしくあるというのは、自分の中の自分と、自分のことをよく分かっている人の自分の鏡像関係にあるわけです。
そのすりあわせが出来るという意味でもれんモスというのは非常に貴重なわけです。
そう考えると、洋服選びデートというのは、食事の次に持ってくるべきだとわかります。
昼間から12時間デートするときに大してお金も使わずに一番時間がつぶせて、かつ、極端なデートコースでもないという意味で12時間デートの条件にも合っています。
「洋服選びたいから、買い物付き合ってくれる?どれが似合っているか教えてよ」
と言えば良いわけです。