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セックスはある意味、信用できないからやる必要があるもの

セックスをするのは一義的には男と6割の非処女の女性に性欲があるからで、男性の場合はぶっちゃけ相手は誰でもいいわけです。

 

幸い、性欲は自分一人でも処理できるし、他の人でも処理は出来るので、絶対相手をしないといけないものでもないわけです。

 

欧米人夫婦がやたら愛してるよと言葉で伝えたり、セックスするのは、そうじゃないと相手を信用できないからなんですよね。文化的な背景が異なっていたり、人種や民族的にも背景が異なる相手であるため、できるだけ言葉や行動で示さないと信用できないわけです。信用できないんだから、そういう形で愛情表現するしかないよねと割り切っているわけです。

 

しかし、日本人同士は文化的背景が同じなので、何も言わなくても行動様式や心理的背景も理解できる面があります。それはある意味、幻想なのですが、そういう幻想を抱けるくらい文化的均一性があるわけです。


夫婦というのは、 カップルと違って、 ただ楽しいことだけをやっていればいいわけではありません。家事や育児や介護など避けることの出来ない生活の部分があります。
そういうプラスとマイナス両面にプラスの意味を加えるためにもセックスをしないといけないわけです。


ぶっちゃけ、愛情がはっきりとわかり伝わっているなら、他の異性とセックスをしてもいいわけですが、生活面でプラスマイナスが拮抗しているため明確にプラスを付加する必要があり、それがセックスなわけです。それを信用できないと表現するならそうだよねというのがタイトルの件です。

 

 

普通のカップルだとどうでしょうか?

ここではれんモスの関係性と男性心理で考えてみましょう。

 

処女性が低い相手は、セックスするしか価値がない、もしくは、セックスしたいと感じるんですよね。不思議なことに。

 

逆に 処女性が高いと別にセックスなんかしなくても十分楽しいと感じます。

 

それはそれだけ信用できているから、別にセックスなんかしなくていいと感じているわけで、それはれんモスXとはしたくないと感じることにも通じます。


処女性を上げれば、セクトラされにくくなるというのもある意味そこに通じます。

 

処女性を簡単に上げるのは、処女であることで、実際、処女だとめんどくさそうという理由でセクトラが避けられることがありますが、こいつは安易にセックスに応じる相手ではないと信用されているという見方も出来ます。