恋愛でも、仕事の取引でも、友達との約束でも、師弟関係でも、「裏切られた」というコメントはしばしばみかけます。
裏切られるというのは、信じていたのにそうじゃなかった場合に使われますよね?
でも、それって、要するに勝手に相手がこうだと「本当の相手じゃない相手」を期待している状態なんですよね。
これって、まさに恋愛感情と全く同じ構造なんです。
相手が自分のことを一番大事にしてくれる、自分のことを好きでいてくれる。そうに違いない、そうであって欲しいという期待があって、
でも、ほかの人を好きになるかもとか、ほかの人が好きかもとかいう不安もあるわけです。その不安が少なかったところに不安通りの展開になって「裏切られた」となるわけです。
この本質は、相手のことを見誤ったことではありません。
まさか、こんなことになるなんてと見抜けなかった!わけでもありません。
それは単に相手を理解するための一事象でしかないんですよ。
そういう人だったのかと失望する必要もありません。失望というのは、希望がなかった状態、評価を高くしすぎていた状態かもしれませんが、それは単に相手のことをちゃんと理解できていなかっただけなんですよね。
それに良いも悪いもないわけです。
それが相手なんです。
なんなら、もっと裏切られたと感じるかもしれません。
ここで大事なのは、その予想や期待と違う相手をそのまんま受け入れることです。
そこに評価は必要ありません。その評価基準が幻想にすぎないからです。
むしろ、そんな予想外の相手がもっと予想外のことをしてくれるかもと期待したり、面白がったりするくらいがちょうどいいんです。