ぐるちゃでは月に一回全体で通話をしています。今ぐるちゃは240人前後いて、昨日は10人前後(メンバーは入れ替わっていきます)が通話に参加して夜の8時から朝の8時前まで12時間弱していました。
その中で出てきた話です。
人が人を好きになるときはほぼまずルックスがあって、そのルックスから想定される性格があって、さらに一度会話できると声もわかるのでそこで修正が少し入って見た目から想像される最大限の魅力的な人が想定されます。
で、実際に話すようになって、そこで二人の関係性が上乗せされて、相手の魅力に対する見積もりが完成します。
そこから、その最大限魅力的な相手とのデートが予想と期待され、ドキドキしつつも、それが実現しない可能性に対して不安もつのり、ドキドキ感がエンハンスされます。
で、デートして、付き合ったりすることもあるでしょうが、いろんな局面で互いのやりたいこと、期待していることが違うというすれ違いが顕在化してきます。
これはもう避けられません。
それを重ねているうちに実際の相手はこういう人だったという軌道修正がされていくのですが、付き合ってしまっているとそのスピードは遅くなります。というのは、気持ち的にこういう人と付き合えることになったと確定しているので、そうではないとはなかなか認めがたいからです。
一方、れんモスだと、実はこういう人だったんだと。まるでもう一人の別人と知り合えたかのような、つまり、相手は一人なんだけど、その一人を介して複数の人と知り合えたような感触で付き合っていけます。
それはマイナスにもプラスにも振れますが、そういう違った人として受け取れて、受け入れられるからです。 以前、ノープランでデートしようと提案したのはそういった予想や期待がない状態で上乗せ部分を追加しようという意味だったのです。
で、そうはいっても、二人でいることでいろんな楽しいやり取りやお約束、歴史と記憶が生まれますからそれがプラスアルファになるのですが、付き合ってしまっていると、実際は期待通りでなかったという穴を少し埋める材料にしかならないんですよね。
穴を埋めてさらに盛り上がるなんてことはなくて、穴の底を少しの土で軽く埋める程度なんですよ。
穴が多くなりすぎると、結局、別れるとかいう展開になります。
ルックスから入るのは別に良いのですが、実際の人物像はそれからの予想とは全く別物なわけで、それを探す旅にでると、今度は全く違う人ということがわかり、その時の二人の関係性がどれだけ育っているかでさらに引き付けあえるのかが決まるので、そこに注力するべきなんですよね。
セックスしたいとか言っていると、セックス自体は誰とでもできるので、本来の相手を見ずにセックスに向かってしまうため、結局、セックス以外のところで衝突や嫌な思いが増えて、めんどくさいといった態度につながっていってしまうわけです。