女性にとっての「愛する人に話を聞いてもらうこと」と同様に、男性にとっての「愛する人にセックスを受け入れてもらうこと」は重要なのだという話を読んだことがあります。
男性はセックスの中で精液を吐き出す瞬間に、普段抑圧している感情を女性に受け入れてもらうことができるそうです。孤独感、怒り、悲しみの全てを、セックスの情熱的・感覚的な陶酔感に紛れて吐き出すことができるそうです。
それが恐らくテンプレ男性のいう「セックスによる魂の救済」に当たるものだと思っています。
でも、だからこそ、その方法でしか自分の魂は救済されないと感じている人を相手取ったとき、私はその人に何もしてあげることができない。その人の生活が楽になるように、私が肩代わりをしてたくさん残業をして仕事を減らしてあげたところで、その人がセックスによってしか自分は救われないと思っていたら、私が汗水垂らしてやってあげたことは、その人にとって大したことのないちょっとした親切に過ぎないんです。
私はそのことがすごく辛いです。
自分の時間を切り売りして人助けてもその人は救われないし、
たとえその人と付き合ってセックスしてもその人にとっては一時しのぎの陶酔に逃げることができるだけで何ら楽にはなっていない。
私はどう頑張っても人を助けることができません。「愛のあるセックス」を信じている男性に対しては特に、何もしてあげられることがない。
自分の愛する人たちに何もしてあげられない、これほど辛いことはないです。
やっぱりこの世界は悲しい場所だなと思ってしまいますね。
思い詰めて私まで笑顔を失っていたら仕方ないので少しその事実からは離れようと思いますが。
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こういう悩みはまさに昨日の記事にあるように全く考える必要のないことです。
セックスはセックスです。子作りのためか、性欲の解消、それ以上もそれ以下の意味もありません。ただ結婚前にやっていると自分自身の市場価値がどんどん落ちていくだけです。男も女も。救済もされずに地獄にどんどん落ちて行っているような状態です。
さらに、自分自身のコンテンツ力もどんどん落ちていきます。見世物としてのコンテンツ力は少しはありますけど、同時に結婚での市場価値も落ちていきます。
上記の例はセックスの話もあって、ちょっと極端ですが、他人との関わり方で、自分に何ができるのかは答えは一つしかないので全部それを軸に考えましょう。
ちなみに上記の条件にあてはまる男性は市場価値の落ちた男性の一部の一時的な状態の一つに過ぎませんが、そんなことは理解する必要も配慮する必要もありません。
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