自己なんちゃらの言葉が結構出てくるので、このブログで使うときの意味合いや言葉の階層を説明しておきます。
自己受容は自分のスペックと自分の自分に対するイメージにずれがない感じで、自分は自分のままでいいんだみたいな感覚です。
これは母親からの無条件の受け入れで得られますが、とはいえ、20歳前後で独り立ちしたときに、社会からの判定にさらされるので、そこで再構築する必要があります。
再構築するときのわかりやすい例は、
勉強して志望校に入れたとか、部活で頑張って賞が取れたとかで、何らかの承認を得られると得やすいでしょうね。
自分の境界をはっきりと意識できるようになるのが、自己受容できている状態で、これができていないのとそのあとの自己認識が狂い始めます。
自分とはこんなものであると、自己受容した後に評価をするわけですが、このときに自己受容が上手くいっていない人は、自分の境界線がはっきりしていないので、他者評価が入りやすくなるわけです。
で、そういった評価をするときに
自分はこれくらいはできる、これはできないといった 自己効力感をまず感じますが、これはやってみないとわからないこともあるので、努力する、挑戦するという姿勢が必要で、その結果、得られるものがあるという予想や期待がないとできないため、卵が先か鶏が先か問題でもあります。
ただのその実感が湧かないなら、とりあえず、頑張るでもいいでしょう。
そのあとに自己肯定感がきます。
このときに結果が出ていても、出ていなくても、自己肯定感は持てるのですが、そのために必要なのが好きなことをしているという自覚です。
これを逆回しにして、好きなことをしているから、自己肯定感が持てていて、その中で自分にできることをある程度見分けできていつつも、プラスアルファの可能性も信じられるような自己効力感を持てて、そういう自分を自分機軸で評価して、自己受容できている状態を自分軸を持てているというわけです。
このとき、評価軸に他人軸を入れてしまうと、上の行程の前にも後ろにも狂いが生じるわけです。
ちなみに信頼は、この自分軸のぶれなさに生じます。
何を言っても聞かないや、言うことが変わらない人は、逆に言うと、それを織り込んで行動するときにすごくありがたいんですよね。定点になってくれるからです。