恋愛モンスター

「恋愛 信頼」でGoogle検索1位(2020正月)の最高の幸福感を得られる方法

【Club】神様は存在するのか  

クリスチャンではないけど、神はいるって思ってる人ですか?

 

という質問を受けたので、それについて論理的に考えてみましょう。恋愛モンスターは時にカトリックみたいといわれることもあるからです。

 

どんな神であっても人々に共通するのは祈るという行為です。拝むという場合もありますが、人々は神の偶像に向かって心の中で神に語りかけます。

 

ほとんどの場合、個人的な願いや祈り、お願い、懇願、感謝といった形で表現されるでしょう。

 

どんな形であれ、神のご加護を期待しているわけです。

 

神が私の個人的な状況を理解し、何らかの思し召し、もしくは見守りを期待しています。

母親が赤ちゃんを見守っていて、危なそうだったら、あっ、危ないと止めてくれるのを期待しているようなイメージです。

ただどこまで何をしていくれるかは神様次第でしょう。

 

 

さて、この状況を現実的に実装することを考えてみます。

仮に信者が100万人いるとします。

 

そうすると、機械で対応するとすると、各個人の動きや居場所をモニタリングする肉眼で見えないほどの小型の虫のような機器が必要です。

もしくは、太古の昔から神は存在すると考えられているので、それが生き物だとすると、プレデターのように人の目には見えない装甲をしたアメーバのような生き物が100万人の人につきまとっているイメージです。それが一つの生き物でもいいし、離れていても精神的につながっている生き物でも構いません。

仮にそれがよくある神様のイメージのように人の形をしていると仮定すると、目に見えない物理構造をした皮膚と洋服を身にまとって、100万人存在し、おそらく羽もなく空を飛べるほどの軽い体重である必要があります。

 

いずれの場合も、得られた情報を統合して、危険な状況を判断しないといけませんが、100万人分の情報を人一人の脳では処理できないので、人の脳とは別の構造が想定されます。

それはスーパーコンピューターのようなものかもしれないし、もっとサイズの大きい脳のようなものかもしれません。

いずれにしても、人の形をしているとすると、人智を越えたより細かい人とは全く異なる構造が想定されます。

 

 

すると、神は物理的に存在しているのではなく、精神世界のようなものがあって、そこにいるんだとなるかもしれません。

しかし、仮にそうであったとしても、やはり、100万人の情報を処理する能力は必要になってきます。

 

いやいや、神様は一人一人にいるから、そんなものは要らないとなると、多神論者となって、そのそれぞれの神様はどう違うのか、というか、それぞれの体験は別なので違わないと筋が通りません。

 

このように本来、神様は人類とは異なる高度な機能を保持した生命体のようなものなのですが、神様仏様とか、ご先祖様とか、人はなぜか神様が人であることを期待してもいるわけです。

 

しかし、人という生物にはそのような能力がないため、神が人であった場合、実は何もできないし、何なら、100万人の話のほんのほんの一部しか聞けていないわけです。

 

だから、人はお祈りするときにしつこく心の中で大きく何度も何度も神に声をかけるのかもしれません。

 

 

すると、神様はまさにくじ引きのように、手を差し伸べてくれるときもあれば、気づかれないときもあるということになります。

そういう神様の現実とおみくじとはある意味相性が良いんですよね。

 

ところが、現実はすべて正規分布しているので、成功する人もいれば、失敗する人もいます。

神が人的なものである場合、実はいてもいなくても現実は変わらないし、変わると考えるとそれをお金で買おうとする人が現れます。

新興宗教はまさにそこにつけ込んでいるわけです。

 

 

自分は初詣くらいしか、神様がいるところと思われているところに行きませんが、昔、自分の母親に、

神社に来たら、自分の願いを心の中でつぶやくのでなく、いつもいつもいろんな人の願いに耳を傾けてくれてありがとうございます。お疲れ様ですと声をかけてあげたらいいよ。

と言われて以来、いつもそうしています。

 

 

 

さて、でも、別に神様の力が及ばなくても、現実はいくらでも変えることはできます。

死にたくなければ、健康的な生活をすればいいし、金儲けをしたければ、金儲けしている人のまねをすればいいわけです。

 

神様、仏様の最大のメリットは絶対に自分を裏切らないというところにあります。

おじいちゃんに見守ってもらっているという死んだじいちゃんに無理くり見守るという仕事を押しつけてもじいちゃんは絶対文句を言いません。

神様も同じです。

 

神様は自己肯定感の最後の砦なんですよね。だから、自己肯定感の低い人、周囲の人を最後まで信じることのできない環境に置かれている人が宗教を頼るわけです。

でも、それは別に悪いことでもありません。長い時間を通して、関わってくる人も社会も変わってきますが、常に自分自身に寄り添ってくれているし、寄り添っているからこそ悪い姿も見せられません。

自分を律するにはちょうど良いわけです。

 

その意味で、神様がいてくれた方が楽というのが正解でしょう。

でも、同時に現実を変えてくれるのは、神様ではなく、自分自身であることを自覚して行動すべきです。

 

さて、クラブでは恋愛モンスターと神について説明してみます。

 

 

続きはクラブで。

 

 

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