これを受けて下記のような質問をぐるちゃで受けました。
まりあちゃん
プライベートとパブリックは別!なんですね。一緒くたに考えてました(^^;;
デートしたことを自分が言わなくても、相手が話す可能性があるから、マドンナ的振る舞いが出来ないなら、「一つのコミュニティで一人のれんもす」にすべきということで良いでしょうか?
まきちゃん
横入りすみません。「一つのコミュニティで一人のれんもす」という部分に違和感があります。
彼氏を作ってしまうとそのコミュニティ内の男性の結婚相手候補から外れてしまうというのがあったと思うんですが、れんもすなら手も繋がないので複数いても構わないのではないでしょうか?
れんもすは多ければ多いほど良いという認識でいたので腑に落ちません…。
解釈を間違えていたらすみません💧回答頂けると嬉しいです。
誰にでも平等に接するというのは、基本パブリックなところでの立ち振る舞いですね。
とくに恋愛テンプレ脳がおかしやすい間違いとして、彼氏や彼女がいるときにその相手だけを特別扱いすることです。それでは、処女性も下がるし、自分のモテ度も下がるしで、結婚の可能性もダダ下がりです。
あと大事なのは男にも女にも平等に接するというところです。
これがパブリックモードです。
プライベートモードは例えばれんモスと会っている時とかですよね。
そういう時は、家族といる時のように自然にしていればいいです。
平等に接するというのは、A君と会っているときも、B君と会っているときも同じように接するという意味ではありません。
A君もB君も違う個性を持っているし、それを引き出すことが大事だと言いましたよね。
ということは、その魅力を最大限引き出してあげるように接することが大事なんです。自分らしくありながらね。
自信なさそうな子には少し褒めも入れるし、少しオラっている人にはディスりも入れていきます。
ルールは至ってシンプルで、一番楽しい関係になるように振る舞う。ですね。
恋愛感情がどうとか、結婚する気があるのかどうかとかはほとんど意味がありません。
楽しいから、付き合いたいと思うんだし、一緒にいたい、結婚したいと思うんですよ。
そしたら、それだけを作ればいいんです。
付き合うとか、結婚するとかは別れるための儀式みたいなものなので、それを望むのはナンセンスです。
どんなに辛いことがあっても、悲しいことがあっても、二人で乗り越えていきたい。
そう思えるのが、結婚です。決して、スキスキラブラブチュッチュッや、彼がお金持ってて生活安泰!とかいうものじゃないんですよ。それでは幸せにはなれません。