ミオヤマザキの曲に「死ニDIE」という曲があって、その歌詞の中に次のような一節があります。
「一緒に死にたい。」
「え、死ぬ。てそんなに大事?」
そんなやり取りさえ全部LINE
社会的立場や経済的な理由で、生活ができなかったり、生きる場所がなくなったと共に感じた二人が一緒に死のうなんてのは、昭和の時代ならあったかもしれないけれど、五体満足で普通にコミュニケーション取れるのであれば、これだけ交通機関が発達している現代ではどこか別の場所でも生きる場所は見つけられるはずなんですよね。
つまり、一緒に死にたいは二重の意味でわがままなんです。
たとえ借金があったとしても自己破産すればいいわけだし、うつ病でもない限り、特に死ぬ理由なんてないということ。
それまで社会に生かされてきたからこそ、その恩返しをして死ぬことがいろんなものを犠牲にして生きてきた人類と自分の責任ですよということ。
そして、一緒にというところが、一番のテンプレ脳という部分でしょう。
「一緒に」にはどんな意味があるんでしょうか?
- 私が死んだら、彼が悲しいだろうから
- 私ひとりで死ぬのは寂しいから
- ふたりでまさに死ぬまで愛し合いたいから
しかし、その本質は、肉便器という意味も含めてあなたは私の装備品という意味でしかありません。
彼が他の人の装備品になることなんて、想像できないっていう世界です。
それが恋愛テンプレ脳の世界です。
恋愛モンスターの世界では、互いが幸せであれば、それでいいという世界です。
どんなに離れていても、どんなに会っていなくても、どんなに話していなくても、いつでも、心のそばにいるのが恋愛モンスターです。
それはある意味、死という存在すら越えていても良いでしょう。
そこには一緒に死ぬという発想はないわけです。
もっというと、彼が私の元を去って行くとしても、彼が幸せであれば良いという思いです。
これは逆も同じで、彼女が自分の元を去って、他の男に走ったとしても、彼女が幸せであれば良いという思いです。
「そんな~」と思うかもしれませんが、実はその思いこそが一番、あいてを惹きつける態度を呼び寄せられるんですよね。