昨日はぐるちゃの中で3時間40分ほど通話をしていたのですが、その中で出て来た話です。
恋愛テンプレ脳で付き合っているとけんかもよくするとは思うのですが、それはお互いに相手はこういう人であると勝手に思い込んで付き合い始めているため、それと違う部分に対して怒っているわけです。
でも、そもそもこういう人であると思い込んでいることが間違いなのであって、それに対して怒るのはもはや意味不明なわけです。それは、自分を偽って近寄り、付き合ってはいるけれど、裏で浮気しまくっているというパターンでも同じです。付き合う前にそれを見抜けるくらいまで相手のことを知ることが大事なわけです。
さて、夫婦げんかも基本的には同じような構造なのですが、恋人みたいに合わないからとか、理想の相手じゃないからとか理由ですぐに別れるわけにはいきません。嫌だと思っても付き合い続けないといけない面もあるわけです。
相手のことをディスったり、怒ったりしたところで相手が入れ替わるわけでも、嫌なところが改善するわけでもないわけです。意固地になってあえて変えようとしなかったりが最初の時期で、その後はわかってはいるけれど本人以外のものになれと言われてなれるわけでもないわけです。
さて、処女性とはどんな人でも受け入れる姿勢でした。
結婚してからも人は変わっていくわけです。結婚するために猫をかぶっていた女性が本性を出すこともあるし、それまで彼女もいたことがなかった男性が女遊びをはじめることだってあります。経済力がなくなってしまうことだってあるし、事故で障害者になることだってあるでしょう。それを嫌だというのは簡単です。
だからこそ、少しでも相手を選べるように人は頑張るわけですが、自分自身の理想すらも変わっていくはずなのにそれが手に入り続けるわけがないんですよね。
となると、今、目の前にあるものをいかに楽しむかの連続の先にしか、自分史上最高の幸せはないわけです。なので、処女性の高い方が押されることになるのですが、それすらも受け入れていくことでしかそれは掴めないわけです。