若いころはどうしても目の前にある一般的に成功している人、たとえば、社長、教授、金持ち、金メダリスト、不労所得で暮らしている人などが目標になりがちです。
その人生がどれくらい充実度があるのか、将来的に人と人のつながりがどれくらい残るのか、信頼できる人はどれくらい増えていくのか、実際にお金があったとして、どう使うべきなのかといったことは見えないわけです。
そして、出世するかどうかはほぼ35歳くらいで決まりますから、そこで嫌がうえでも自分の人生への外部評価を感じずにはいられなくなります。
そこからは生きるためなのか、死ぬためなのか、金太郎あめのような人生が待っていることがほとんどです。
その年齢からいきなり海外で暮らすとかの選択をしない限り、ドラマティックな変化はあまり期待できないでしょう。
そんな中、自分が死ぬまでに仕上げないといけない仕事はどうやったら見つかるのでしょうか?
例えば、今、自分は仕上げないといけない仕事というのが見つかっているのですが、でも、これって実は去年発見できた事案なんですよ。
出世や金のためでなく、純粋に興味があって取り組んだら実は金脈だったという偶然です。
でも、偶然でもないわけです。その背景にはこのブログの考え方があったし、このブログの背景には恋愛工学があったわけだし、その背景には自分の人生の失敗があったわけで、その背景をさらにたどれば、最初に挙げたような思いがあったわけです。
いきなり、今の考え方のポジションに若いころに来られたかというと、絶対無理なわけです。
みんなが夢見るようなことに挑戦して、失敗を繰り返して、そのうえで残った道が自分の道なわけです。
と、ここまで書いてみて、よくよく思い出してみると、10代と20代の時に強く思っていた標榜がありました。それを次回紹介してみましょう。