昨日も書きましたが、大事な話なので別に記事として起こします。
大事にしたい、大事にされてるは恋愛テンプレ脳がよく使い、重宝している概念なのですが、つうモスの子に大事にされたいかと聞いたら、大事にされていたとしても、私が大事にされていると感じるものでないと意味がないから、何とも言えませんと言われました。
つまり、恋愛感情の時と同じ構造がそこにあるわけです。
理想の相手、幻想の相手を相手に押し付けるのと同様に、自分の望む大事にされ方を相手に求めていたり、自分の考える大事にするを相手に押し付けていたり、相手の求める大事にされるを与えていたりという構造があります。基本的には受け手の大事にされているを満たしたい、満たしてほしいという願望ですよね。大事にする方にそれがフィットしていようがいまいが。
受け取り手の願望を押し付けているだけという言い方もできます。
しかし、それではリアルを見てもいないし、受け入れてもいないわけで、そうすると、相手も安心もリラックスもできないので、関係性が落ち着くわけがないんですよね。
と同時に「大事にしてほしい」には「大事にしない」相手も念頭に置かれているわけです。
それは、自分が大事にしない相手がいるということであり、自分が大事にされなかったと感じる体験をしたということも意味しています。
要するに「大事にされていない」と判定する行為が存在しており、それはいけないことだという価値観がそこにはあるわけです。恋人と別れる時もたいていそれが理由にされます。信じられない、ありえないと、自分の欲求、要求通りでなかったことを相手のせいにして別れるわけです。その相手は元々そういう人だったのにね。
「大事にされたい」の根本的な欲求はシンプルです。好きな男とセックスしたいなのですよ。ところが、遊ばれて捨てられるリスクや経験があるため、それができない。
すると、今度は主語を自分から女性に代える人もいるわけです。
そうしておけば、すべての男はセックスした女を捨ててはいけないということになり、私は安心して、好きな男とセックスできるという話になります。
実は、大事にするという概念にすでに主従の関係性が内包されているという問題もあるわけです。
やり方はともかく主体的に「大事にする」主人側と、従属的に「大事される」受け手側という構造です。
主語を女性にして、男性は女性を大事にするべきだと主張することは、最初から男と女が平等でフラットで対等な関係であることを否定しているんですよね。
解決法は二つです。
それについてクラブで説明します。
続きはクラブで