先日、飯食べているときにカウンターを挟んで対面に座っている女の子を見ながらおもったことです。
奇抜なファッションがいけないという話ではないわけです。
むしろ、どんなときでもその路線を貫くなら、それは個性として受け入れる対象に入るので問題ないわけです。
でも、そのメイクって、自分を少しでもよく見せようとして盛るためにやっているよねといったファッションは自分の外見に対する自信のなさを暗示させます。
自分自身のことすら受け入れていない人が、他人を受け入れるでしょうか?
一緒にいる時間が一番長かった自分のことすら受け入れていない人が他人を受け入れるでしょうか?
そして、それは居心地の良いものだけを受け入れ、それ以外は受け入れたくないという性質を暗示させるので、アプローチするときにその子が居心地が良いと感じるであろう嘘八百を並び立てておけば、セックスも受け入れるだろうという男が寄ってくるわけです。
つまり、白馬の王子様と感じるような人がアプローチしてきては、やり捨てされ続けるわけです。でも、その白馬の王子様を呼び寄せたという体験がその理由を誤解させて、同じことを続けさせるわけです。
逆にいつ見ても奇抜なファッションをしている人は他人から白い目で見られ続けているわけです。しかし、それでもなおそれを続けているということはそれだけ自分を持っている、自分を信じているということです。
それは長期的には決して場所が動かない灯台としての信頼感につながっていくわけです。