昨日の話の流れですが、高校の時、田舎の進学校だったので、朝晩補習があったわけです。
レベル的には関関同立、MARCHに受かればいい方くらいのクラスでしたが、全員のレベルを上げるためにしていたのでしょう。
自分は高校のときは、先生が面白かった古文と地理と倫理以外は授業を聞いてなかったので、補修の時間は時間の無駄なわけです。高校生の自分にとって、学校は友達をつくるところであって、授業を受けるところではなかったので、これ以上は我慢できないということで、補修が終わってから、教室に入り、補修が始まる前に帰っていました。クラスで一人だけ。
勉強は自分で問題集を選んで、授業中にぼちぼちやっていた感じです。ほとんどの教科書は1ページも開かずに机の中に放置していました。
期末テストとか中間テストのように授業内容を確認する試験はそのための勉強もしないので悪かったですが、外部の実力テストではそこそこ良かったこともあり、成績が良いから補修は受けないんだろうくらいに思われていたのかもしれません。でも、浮いていたとかではなくて、体育祭の演舞ダンスとかは率先してやっていたし、普通クラスから上がってきた子とも一番仲良くしていました。
しかし、クラスで一人帰るとかよくやれていたなとは今からだと思いますが、当時はこれ以上無駄なものにつきあわさないでくれと強く思っていたのは覚えています。
この原資がどこから来ているかというと、子供の頃から母がどんなことでも否定せずに受け入れてくれていたからです。叱られることはありました。それは自分の身が危険なことをしたときです。小学生の時に門限を過ぎて帰ったときとかですね。
実際、工事現場の土管の中に一人で入って、抜け出られなくなりそうになって死を覚悟した時もあり、危ないことをしている自覚があったので、母の気持ちもよくわかっていました。
その母がいつもしていた子供の扱い方をクラブで説明しておきます。ぐるちゃでも出産ラッシュで子供の教育はこれからの問題でしょう。
また、毒親だったから、そんなのも無理だったという人もいるでしょう。
そういう人がどうやってリカバリーしているかもクラブで説明していきます。
続きはクラブで