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「この世は天国である」が中間地点なのが恋愛モンスター

先日はぐるちゃの通話の日で午後11時から5時間ほど話が続いていました。

 

その前にぐるちゃで恋愛モンスターが宗教っぽいと話があったのですが、母の影響でベースにカトリックの考え方があるのは違いないのですが、それとも違うわけです。


楽しいことだけをやる。他人の考えや意見にはとらわれない。

その代わり、他人との信頼関係を築くには時間がかかることに真正面から取り組む。そのためにも入り口では誰にでも門戸を開いておく。

 

その後の関係がどう立ち上がっていくか、育っていくかはその二人の関係性次第で千差万別であること。

自然消滅することもあるし、れんモスGのように急速に育つこともあります。

 


他人の負の感情をどれだけ無視できるか。と、自分の楽しみをどれだけ確保できるかの両方向の活動を持続的にしているうちに自分にとってどんどん快適な世の中になっていき、感じるのがタイトルのような気持ちです。

 


意外と天国ってどういうところかって考え方をしないよね。
死んだら行くところで、地獄のような苦しみのないところっていうところで思考停止していることが多いと思います。

 

そこが幸福感に満ちあふれているところというイメージもあるかもしれませんが、幸福感って何?

って、ところで止まっています。何故かというと、強い幸福感を感じたことがないからです。

 

もちろん、新興宗教の中にはそういうものを部分的に感じているとおぼしき人たちもいますが、客観的に見て大枚と自分の人生の時間をその宗教の布教活動に奪われていることがほとんどです。それはある意味、熱心なアーティストのファンも同じでしょう。

 

恋愛モンスターは別に財産を奪ったりしません。せいぜい月に1000円程度です。
布教のための時間も奪いません。

 

むしろ、この幸福感を人に伝えたいけど、あまりにまわりの人と差がありすぎて伝えられない苦しさがあるほどです。

 

 

で、感じるんです。あぁ、この世って天国だったのかと。

 

と同時に、なんかもっと楽しいことがありそうな予感もするんですよ。