という下書きメモがあったのですが、れんモスベイビーが育ってくると他意がなく、ストレートにそれが言えるようになります。
たとえば、仲良くなってそのまま付き合うような展開になりたいとか、
仲良くなって、あわよくばセックスに持ち込みたいとか、
彼氏や、彼女から奪い取りたいとか、
そういう全ての欲よりもただ会うことの方が最高の状態である。
それこそが一番欲しいものであるといった感じで言うことができるようになります。
何も隠すことなく、オープンに思ったことを言えるわけです。
それでも、まだまだ分からないことはあるし、分からないことは起こるわけです。
腹の読み合いのない世界なんですが、これ、恋愛モンスター同士なら割と早い段階で達成できます。
ところが、恋愛テンプレ脳が相手だと落ち武者で全てを捨てきったくらいの人じゃないとかなかなか難しいわけです。
でも、会うことがゴールであるといった意味合いで、会いたいねと言えることがどれだけ楽しいか。
相手が自分のことを好きかも、そうじゃないかも。自分が一番かも、一番じゃないかもとか、そんな不安もなく、素直に、ストレートにそれだけを求めて会いたいといえる。
ふと考えると、サークルなんかでもそれはありますよね。
仲のよいサークルで、みんなで集まりたい、会いたいといっていることはあります。
DQNのグループでもあるかもしれません。
でも、それらとはちょっと質感が違うんですよね。
それはどこにいても、どんなに会っていなくても、心の中にいる感覚です。
その感覚の違いはどこかでつながっていそうで、やっぱり、違うんですよね。そういうサークルだと、どうしても心の中に壁を感じちゃうんです。
そこが恐らく50時間の壁なんですよね。
サークルだって、個々の関係性において50時間を越えていれば、結局、れんモスと同じ状態になるはずです。
それくらい大変なのに、どうして、3回目のデートでセックスの約束手形を結べるのかってことです。