この辺ですね。
- 今日三人でお昼に誘われたこととか全て私と付き合いたい、セックスしたいだけなんだと思うと、善意が全て気持ち悪く見えてしまって何も会話できませんでした。
- 私としてはBさんと付き合いたくないという本音があります。(最初に付き合う人以上の人はいないということがちらつくと付き合いたくないと思ってしまいます)またそういう彼女対象として見られること自体気持ち悪いと考えてしまいます。
- この感情があってBさんと仲良くとかしたくないよ!という感情がどうしても働いてしまいます。(私がBさんと付き合おうが付き合うまいがCさんと仲良くなれるわけでもないのに!)
- 全く逆効果なのに仕事の時の会話もBさんとは意図的に喋らないようにしてしまいそうです。
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結婚相手はどうせけんかすることになるので、あまり大事に考える必要はありません。
どうせ大事にしないといけないんですから、大事にしようとか考える必要はないわけです。
今回の件は本人も自覚しているようにBさんともCさんとも全くれんモスベイビーが育ってないわけですから、仲良くしたいとか、なりたいか、なりたくないとか以前の問題なわけです。
さて、タイトルの話はれんモスベイビーが少しだけ育っている場合の話です。
恋愛感情は期待と不安がセットになっているだけというのは何度も書いています。
そして、それは最初強まることはあるけど、徐々に減退したり、急になくなったりするのは誰もが経験したことがあるはずです。
その理由は付き合えてしまって、期待が少なくなったり、付き合えなくとも、幻滅して期待が少なくなることもあるでしょう。
また、飽きてしまって少なくなるということもあります。
逆に不安が大きくなりすぎて気持ちが冷めることもあれば、フルコミットされて不安が減りすぎて減退することもあるでしょう。
付き合うにしろ、結婚するにしろ、恋愛感情をベースにしてしまうとそれらがあまりにも不安定であることが分かると思います。
さて、れんモスの良さは、そこに全ての可能性があるからです。
よく言うのは、やってもいいけど(セックスしてもいいけど)、それよりも楽しいものを目指したいというセリフです。
これはそれよりも楽しいものが見たことがないと言えないセリフですが、たいていの場合、相手は体験したことがありません。
しかし、その未知なるものに対する期待と不安は惹起できるわけです。
それって、一体どんなものなんだろうと。
これは、立場が男でも女でも同じです。
そして、その裏には、セックスに対する期待と不安もセットになっているわけです。
それは、付き合うことに対する 期待と不安、結婚することに対する 期待と不安、セフレになることに対する 期待と不安
しかし、そのどれにも落ちることはないことで、期待の総取りを持続的に持つことが可能になるわけです。
そして、そのどれにも落ちないという確証をお互いが持てたときに、扉が開くわけです。そのどれかに落ちる可能性を残しながら。
もちろん、それらの可能性は相手によって、強弱いろいろあります。
れんモスBで、よっぽどのことがないとない、というか、「ない」というくらいのこともあるでしょう。
それでも、自分の体が10体あったら、そのうちの一人はあるかもねくらいの気持ちでいればいいわけです。
10体が足りないなら、100体でも構いません。
100分の1の自分ならありですくらいの心持ちです。