恋愛テンプレ脳で、次から次に彼氏が変わっていって、結婚市場における市場価値、自分自身の自己評価が坂道を転がり落ちるようにどんどん下がっている様をもって、落ち武者と表現しています。
どこのお家にも雇われることもなく、るろうの旅に出るみたいな感じです。
男なら、次から次に、ありかなしかのテンプレ女子を斬ってきた(セックスしてきた)がゆえに斬ることに特化した容貌に段々となっていき、明治時代となって誰からも相手にされなくなっていくようなものです。
女だと、恋愛とセックスはセットだと、次から次にイケメンを斬っていきますが、刀の切れ味(若さ)は鈍っていきますから、斬れる相手のレベルも徐々に落ちていき、自分の腕も落ちたなと自己評価が下がりつつも、そういう恋愛しかしたことがないので、安い人斬りも受けるようになって、社会的にも見下されてるように感じるようになってきます。
若いころは、人斬り抜刀斎としてあんなに華々しくイケメンを斬っていたのに、もはや相手にはされず、どんな禿でもデブでも、金さえもらえたら斬るといった修羅の道を歩むようになり、挙句の果てに「私は見た目とか気にしない」と言いつつも、中身も気にしない有様。
ただ落ち武者はいつでも、逆刃刀に持ち替えて、男を斬るのでなく、男を活かす、言わば、緋村剣心になることができるわけです。
一方、一切人を斬らずに家にこもって竹棒を素振りしているだけの処女であるガチガード娘。は、実戦での恐怖心、細かい立ち回り方、自身のスペックをフルに使えないドキドキ感と対応力の低さがあるわけです。
で、あれば、刀でひざ元において、思考を巡らせ、想像力と創造力で戦局を切り抜けるいわば、諸葛孔明のようになることが、結果的に人を、男を活かせる武将になるわけです。
家にこもっておけば、安全なのではなく、家にいながらも、外での対戦にいかにコミットするか、落ち武者以上に情報収集に努めなければ、戦局を有利には持っていけないのです。