自分は小学校から大学3年まで授業には出ていたけど、授業は聞いていませんでした。
高校は、受験に関係にない古典、地理、倫理だけは先生が好きだったので、話を聞く感じで聞いてはいました。
早朝と夕方の補習はクラスで1人だけサボっていました。
高校は友達がいるから行くところで勉強しに行くところではなかったわけです。
大学の時は大学2年までの授業は一応聞いてはいましたが、3年からは出来るだけ自宅で勉強して、4年からの臨床医学は量が多すぎたのと、興味も持てなかったので、授業で勉強することにしました。しかし、後になって、自分で勉強しておくべきだったと後悔しています、
時間が経てばわかりますが、自分で勉強したこと以外は覚えていません。
逆に今でも高校の時の自分のまとめノートを作っている時の感覚とノートの画像を覚えています。
仕事で求められるのはアウトプットだし、テストもアウトプットです。
よく授業で小テストがあります。でも、あれはアウトプットじゃないんですよ。
まず、ものすごく範囲の狭い、今、教えたばかりのことからしか問題が出ません。
ただの記憶確認テストであり、そこに創造性が全くないわけです。
広大なすべての情報から、場合によってはジャンルの違う情報構造の中から、新しい観念や未知の思考ルートを生み出すのが創造性であり、本当のアウトプットです。
思考ルートが限定されている授業、塾、家庭教師は思考の自由度が低く、突拍子もないアハ体験は全く効力を持ちません。そんなことで思考を別のことに飛ばしていると、授業ルートから外れてしまうからです。
小学校の頃で覚えているのは、同じ学級委員だった女の子とその友達と3人で授業中に点10個で何個三角形が作れるかという遊びの課題でした。覚えているのはそれくらいです。
じゃあ、自分で考えたことは全部覚えているかというと、そうではありません。例えば、このブログに関しては骨子となる方針は別枠で覚えています。それ以外は書いている時に思考の最大化を行なって、その時に降ってくるものを即時的に文章にしているため、思い巡らすというより、思いついた瞬間に文章にして忘れていくので、細かい書いた内容はほぼ覚えていません。だから、後から読み直すとこんなの今の自分には書けないわと感じるわけです。常に出力に全振りして最大出力しているので、記憶に脳内キャパシティを振ってないからです。
でも、これがアウトプットなわけです。アウトプットに全思考能力を割く練習を繰り返すことが生産性や創造性を高めるわけです。
明日は科学研究費が給付されるかどうかの結果発表です。
およそ28%くらいの当選率ですが、今までコロナの時にちょっと政治色を出しすぎた企画以外は全部通っています。
クラブではどのように申請書を書いているのかをちょっと紹介します。
よくある科研費申請書の書き方の本だと0点レベルの書き方だったりします笑
が、必ず通ると確信を持っていつも出しています。
続きはクラブで