れんモスの事を説明していると、たまに出てくるネタですよね。
異性は結婚する相手か、セックスする相手であって、男女の友情は成り立ち得ないという恋愛テンプレ脳は多くいます。
絡む異性が多く、交友関係が幅広い人にたまにうちもらしの相手とか、異性として「ない」判定されてるけど付き合いが長いから、ただの友達として付き合っている異性がいることがあります。れんモスとしてはれんモスB的な扱いですが、ここではれんモスAのような案件の場合はどうかという話ですよね。
恋愛モンスター的な答えとして結論から言うと、そんなものはあってもなくてもどっちでもよいとなります。
さらにいうと、同性同士であっても同じ事です。
友情をwikiで見てみると以下のような説明が挙がっています。
友情は、共感や信頼の情を抱き合って互いを肯定し合う人間関係、もしくはそういった感情のこと。友達同士の間に生まれる情愛。しかし、それはすべての友達にあるものではなく、自己犠牲ができるほどの友達関係の中に存在する。
ここで大事なのは、信頼の情を抱くというところだけであとはどうでもよい。あってもなくてもよいということです。
それぞれについて、解説していきます。
男女の関係において、れんモスは別にセックスしたいと感じても良いわけです。大事なこととして絶対にセックスしないという誓約と覚悟があるので、結果、圧倒的な安心感が得られるし、逆にいうと、いくらでもセックスしたいと感じて良いわけです。でも、実際にするかどうかは一切検討する必要がないというだけです。したところで、二人の関係性の生産性が下がるだけだからです。
一方、同性同士の場合、大切なのはオープンな姿勢でいるということです。自分の価値観と違う事を言い出しても、それはそれとして受け入れるという事です。自己犠牲したければしてもいいですが、それは相手のためのではなく、自分の自己満足のためです。
友情という言葉は、自分だけでなく、相手にも同様の事を求める構造を持っており、それこそ、「大事にされたい」なんですよ。
大事にされようが、されまいが、自分が大事にしたいと思えばすれば良いし、思わないなら放置で良いしで、ことさらに二人の関係性を特別視しなくてよいということです。
もちろん、れんモスベイビーが育ったような状態は二人の関係性は特別です。
それがなくなったかのような事が起こると、不安でショックも受けます。
でも、そこでするべきことは、相手の事を信じる事であって、相手からの信頼を期待する事ではないわけです。その思いが通じる事もあるし、通じない事もあります。
とはいえ、その関係が10年経ち、20年経つと、もうそんな不安に襲われる事はなくなってくるでしょう。それがれんモスXであれ、れんモスWであれ。それが信じ続けた結果というだけです。
全てが主体性から生まれるものであり、友情という概念そのものがどうでも良いというのはそういう理由です。