サマソニでも何回か見かけたのですが、声援に対して、I LOVE YOU, TOO! と返すアーティストが結構いるわけです。
でも、言われた方としては、自分のこと何も知らないのに何を言っているのか、こいつはと感じるわけです。
これを相手側の立場で見てみると、
フェスにしろ、コンサートにしろ、自分や自分たちを見たくて、聞きたくて、この面前に広がる観衆がいるわけです。
それまで、売れなかった時代もたくさんあるだろうし、ソロコンサートではもっと小さい会場でしかできないわけで、それらに比べると、この数が凄い。
しかも、ピュアなファンだけじゃなくて、興味本位で集まってくれている人たちもいて、その人達がちゃんと足を止めてずっと観てくれている。
この状況が愛おしいというのが正確でしょう。
もっというと、こういう状況になっている自分が愛おしいというわけです。
あなたたちのおかげで、承認欲求が満たされまくっています。ありがとう。ということです。
じゃあ、我々はアーティストの承認欲求を満たすために集まっているのかというと、そうではありませんよね。
個々のアーティストのパフォーマンスというのは多かれ少なかれその個人のパーソナリティーを反映しています。一つ一つはその人にしか作れないステージなわけです。
その場を楽しむためにわざわざライブに行っているわけです。
音響的にベストであることもほぼないし、前や横の近くのお客さんが邪魔だったりもするわけです。それでも、その瞬間にしか作れない空気感だったり、乗りを肌で感じて楽しめることに対して、アーティストに対して、ありがとうを最後にいうわけです。その意味での拍手なわけです。
客もプレイヤーも含めて、その場でのパフォーマンスだったり、盛り上がりを作るという意味ではテニスでも、野球でも、サッカーでも同じでしょう。
「集まる」ことには、全体のエネルギーを上げて、パフォーマンスを上げる効果があるわけです。
これは職場でも家庭でも同じことです。
そう考えると、愛することは、死ぬときに感謝を持つことでしたから、最初に言ったアーティストのI LOVE YOU!は、死ぬときに感じる感謝の一つだと思えば、その意味が通じるわけです。