一昨日、長崎に行ったのですが、長崎にグラバー園という観光名所があります。
幕末にイギリスから21歳の若さで来日して、その後、貿易、造船などで富と築き、長崎の山の中腹に仲間の家を含めて豪邸を建てており、そこがグラバー邸として一般公開されています。中には3から4つのエスカレーターがあり、老人でも移動しやすいように配慮していると同時にそんなに儲かっているのかと思わせるわけです。入場料は600円程度です。
21歳の若さで日本にやってきて、それなりに成功しているわけです。
そして、その人生が200年近く経った今でもその生活空間とともに紹介されています。
もちろん、教科書に載っているような偉人もたくさんいますが、その生活環境までがここまでしっかり残っている偉人もそんなにはいないでしょう。
園の中を歩いていると、グラバーさんがいるかのような錯覚を覚えます。ここに坂本龍馬はやってきて海援隊を作ったそうです。そういう若者をグラバーさんは支援して、当時許されていなかった海外留学もサポートしていたそうです。坂本龍馬はこの後、新しい明治政府のあり方の草案を江戸に向かう船の中でまとめてそれが、将来的に大政奉還からの明治政府誕生にそれなりに影響しているようです。
グラバーさんにしろ、坂本龍馬にしろ、日本を変えることに大きく貢献しているわけです。
こういうのを見ると、自分はなにのために生きていて、何を残せるのか。
みんなは何を残せるのかと考えてしまいます。
共通するのは、最新のテクノロジーに立ち向かい、詳しくなることと、そのコンテンツの練り込みでしょうか。
最新のテクノロジーに関しては、大学から仕事までがすべてつながっているのが理想ですが、仕事からでも構いません。
テクノロジーだけではだめで、そこに文脈や文化、新しい価値観などを埋め込んでいかないとただの雇われテクニシャンで終わってしまいます。
そう考えると、大学というのはそれなりに意味があるわけです。決まったことを勉学するわけでなく、仮説を立てて、歴史を紐解いたり、最新の技術を使って研究を進めることで新しいものの考え方を利益度外視で見出そうとする場だからです。
イチローも言うように、無駄なことはあっていいわけです。骨折り損のくたびれ儲けでいいわけです。無駄なことをいっぱい知っていればこそ、正しい道を見つけたときにその喜びと本当の価値がわかるからです。そこで必要なのは、無駄、無理、無謀かもと感じながらも、突き進む勇気です。地球を半周回った日本にやってきたグラバーさんや、下級武士だった坂本龍馬が挑戦してきたことはまさにそれでしょう。
地位や名誉やお金でなく、そんなん無理やろうにどれだけチャレンジしていけるか。
それこそが生きる意味じゃないかなとグラバー園で感じました。
明日の会では、そこでの話と別のところでの話をする予定です。