大学受験の時、ほぼ毎週模試を受けていました。代ゼミの特待生だったので、代ゼミの模試なら全部無料だったのも助かりました。
で、終盤、受けるつもりも行くつもりもないのですが、東大模試や東大オープンも受けていました。
東大は理系であっても二次試験で国語があるのですが、古文漢文はセンターの選択肢の表現からの攻略法くらいで現代文も何も対策とかしてなかったのに何故か2回とも成績優秀者に名前が載っていました。
本をすごく読んでいた訳でもありません。子供向けの推理小説は好んで読んでましたが、文学系は川端康成をほんの少しだけ。
子供の頃は家にテレビがなかったので、語彙力は周りの子より劣っていることを自覚していました。テレビがなかったので、日常会話の語彙のバリエーションが少なかったのです。
地頭がいいとかそう言う話でもない気がします。
強いて言うと、小学5年生あたりから、自然を破壊する人間社会に矛盾を感じていて、人類は滅ぶべきであり、そのためにはまず自分が死なないといけないといった絶望的な考えに囚われており、また、塾の先生のスパルタ教育で算数の苦手なクラスメイトが標的にされて怒られていたのが憎くて、でも、子供だから何も言うことができず、どうやったら論破できるかずっと考えていたりしました。論破という意味では親父とテレビの取り合いでいかに論破するかで頑張っていたのも覚えています。
そもそも小学5年くらいまで想像の世界で遊ぶのが好きでずっとそれで遊んでいたのも影響しているかもしれません。小学5年以降は映像が徐々に文章を空想し続けるようになりました。
これが普通なのか、普通じゃないのかわからないのですが、自分はこうだよというのがあれば教えてください。
とにかく何もないところから考えるのが好きだったわけです。
東大国語の成績が良かった理由はいまだによくわからないのですが、基本的にアウトプット特化型タイプなのかもしれません。
今では、論文も他の人の本やブログもほとんど読みません。
でも、情報収集は最小限の労力程度にはしています。
このアウトプットに特化することのメリットと、どうやったらそれが出来るのかをクラブで考えていきます。
続きはクラブで