なんだかんだで他人は他人なわけです。
れんモスXくらいになると、感じ方や判断の仕方、その結果、どのような行動を取るのかといったことはある程度の誤差範囲内で予測も期待もできますが、その結果、それが自分の生き方とマッチするのかどうかもわかっており、それが結婚という形ではないということもわかっているからこそのれんモスXなんですよね。
れんモスWというのは、それがマッチする可能性が残っていると考えれば、二つの違いはわかりやすいかもしれません。
人を愛するというのは、その人がその人らしくあるように受け入れることでした。
結婚というのは、どちらかというと、生活や子育ての負担といった負の要素を共有するという意味合いの方が強いわけです。でも、それらが十分ペイ出来るくらいの正の要素があるから結婚するわけです。
で、その正の要素とは、別に好みの相手を独占出来たとか、好きな人と結婚出来たとかそんな賞味期限のある感情じゃないわけです。
自分がベストパフォーマンスを出せる。自分が自分のことを好きでいられるような状況をより強く引き出してくれる相手こそがベストパートナーのはずなんですよね。
ところが、自分らしくというのは、実は時間軸に沿って少しずつ変わっていくんですよね。
結局、これが最前の相手と結婚出来るか問題をゆさぶる原因になっているわけですが、それでも、現時点でそうでない相手、そうなろうとしていない相手では二人の線路はどんどん離れていってしまうでしょうね。