人の人生は、宇宙の歴史、地球の歴史、人類の歴史とかと比べると一瞬なわけです。
日本は比較的安定な国なので、みんなある程度似たような初期スターターキットを得ることが出来ます。
それは逆に言うと、似たような選択肢の中からパフォーマンスが良かったものから椅子取りゲームをするような状況になります。
さて、先日、ぐるちゃの子の女友達が東京から来たナンパ目的のイケメン二人組にナンパされて、連絡先だけ交換したのですが、翌朝、ホテルに呼び出されて、片方とセックスして、続いてもう1人ともやったと言う話を聞きました。彼女曰く、若い頃くらい遊びたいと言うわけです。
これは男だともっともっと多くて、据え膳食わぬは男の恥でやれるものならやっておきたいとなるわけです。
その背景は自分の人生は長いわけでもないし、若い時期は限られてるので、やっておいた方が悔いが残らないし、お得だと考えるわけです。
しかし、上記の男女どちらにでも言えることですが、死ぬ瞬間に、あのイケメンとセックスしたからとか、あの可愛い子とセックス出来たから、自分の人生は満足だと感じるでしょうか?
もし、明日交通事故で死ぬとなった場合はどうでしょうか?
また、自分の不運を嘆いて、他人を羨み、妬みながら死んでいくことが満足のいく人生でしょうか?
大事なのは死ぬ瞬間に自分の人生にどれだけ満足できるかであり、そのために何を積み上げるべきかです。
特に老人で死ぬ時に誰とセックスしたとか、他人に比べて自分がどうだったとかどうでもいいわけです。
最後の最後に大事に思えるのは自分が大切にしてきた人たちだけです。
その人たちに対する感謝の大きさや多さこそが人生の満足度なわけです。
その積み上げは年を取るほど難しくなるわけです。端的に言えば、誰も老人には興味なんか持たないからです。
そういう中で、強いつながりはなんでも受け入れる力とそれを維持する握力、さらに惹きつけ合う力が必要なわけです。
若いうちにやっておきたいというのは年取ってから出来ないからの裏返しですが、結果的に年取ってからできることがどんどん少なく小さくなってるだけのマッチポンプなんですよ。
逆なんですよ。年取ってからできることを若いうちにブラッシュアップして、精度と効率を上げる努力をすることこそが、右肩上がりの人生を呼び込むんです。