私はものすごく努力してきたけど、認められたことも、褒められたこともない。
自分の能力が低いから、怒られてばかりだった。
上手くいっている人が憎たらしいという人がいます。
で、職場で、自分は努力したこと、ほとんどないというか、ないんですよね。
夜中3時まで実験とかしていたこともあるけど、別にそれを努力を思ったことはないし、努力って何だと思います?というと、それは優秀だからですよ~とおべんちゃらを言われるわけです。
これって、評価され、褒められていますよね。
でも、全然、嬉しくないんですよ。なんなら、バカにされているような気もします。
バカにされているわけではなくて、努力と呼べるくらいの頑張りをしたことがない自分に対して、自分がバカにする、低い評価を与えるというイメージです。
で、その話は、職場のおばさんに努力の「努」は女の股の力だから、出産の時の力を言うんですよ。それは苦しくて、きついけれど、何かを生み出そうとして踏ん張るときの力なんですよ。という話でまとまりました。
最初の例でいうと、自分のパフォーマンスが悪いから、人並みの結果を出そうと頑張っていたけど、なかなかうまくいかなくてつらかった、苦しかったということです。
でも、その頑張りを誰も評価してくれないというわけです。
自分は中学生の頃、塾で絶対に抜けない一番の男の子がいました。小学生の頃から公文で微積分までやっていて、すべての科目でいつも1番。そのあと、灘高校に行って、京都大学の医学部に進学していました。彼は小さい頃からずっと努力してきているわけです。
その積み上げた努力には全くかなわないし、そんな努力もできないわけです。
鼻が悪くて、集中力もないので、いかに短時間で効率よく勉強するか、結果を出すかに無心していて、その効率化に成功すると満足できるわけです。結果が良いかどうかとかよりも、効率化に成功するかどうかが自分にとっての評価軸なわけです。
何を言いたいかと言うと、上を見ればいくらでもいます。下を見てもいくらでもいます。
今回の例で言えば、精神遅滞の人や身体障害者の人、発展途上国や戦火のウクライナの人など自分よりパフォーマンスが出せない人はいくらでもいます。
自分の決めた自分の評価軸、自分の決めた生き方をどれだけできるかが大事だということです。
パフォーマンスが悪いところは誰だってあります。
運動能力、計算能力、記憶力、持続力など
でも、その中で自分がこだわっていて心地よいと思える頑張り方を自分がどれだけできたか、そこだけを評価軸にすればいいわけです。
他者からの期待とかはどうでもいいわけです。
その上で、自分の目標というか、自分の評価軸を受け入れてもらえる人が現れるとより幸せにはなるでしょう。ただし、そのときの評価軸を他人の評価軸にしないということです。
マイナスのないポジティブな評価軸にしておくことです。
自分で自分の評価を下げることほど、人生の無駄はありません。
ちなみに他人からの評価が上がる一番の方法は、他人からの評価を一切気にしない態度です。
逆説的ですが、最初の例でいうと、本当は他人の評価がほしいんですよ。でも、その評価をもらうのは、それを一切気にしていないというマインドセットなんです。
それで、死にたいとかいうわけですが、それなら死んだと思えばいいんです。私は死んでいるんだから、別に他人の評価とかどうでもいいですよね?死んでいるんですから。
幽霊として、自分の評価軸で残りの僅かの人生を好きなように生きるぞと思えばいいんです。つまり、死にたいとか言いながら、実はものすごく生きることに執着しているんですよ。
じゃあ、他人との関係性でどうやって生きるかです。
それについてクラブで説明してみます。
続きはクラブで