一連の自己完結で承認欲求を満たす自分の愛情ですが、 親から愛されていたことが必要なのでしょうか?
自分は親から愛されてこなかったからうんぬんという話はいろんな 人から何度も聞かされて、その分、 ディスアドバンテージがあるのかなと考えていましたが、 よくよく思い返してみると、それはあんまり必要ないんですよね。
親から絶対的に愛されていたから、いま、 他人を自立的に自信を持って愛せるんでしょと言われるわけですが 、他人から愛される保証はないので、 そこに自信は結局持てないんですよね。
他人から愛されることを求めている限り、 そこに自信は持てないでしょう。
ここでいう自信とは相手が応えるかどうかは相手任せで相手次第で すが、応えてくれたら絶対楽しいという自信なんですよ。
なぜなら、こちらが絶対に裏切らないからです。
相手がどこにいても、誰と付き合っても、結婚しても、 子供ができても、 離婚しても変わらない愛情とはそういうものです。
最初に言っていた他人に求めていたものをまさに自分が与える側に なるわけです。
自分が欲しい欲しいと思っていたものを自分が与える側になる。 与えることにおいて自分は不動なので、 裏切られることは絶対ないわけです。
この状態をキープするのに親の愛情はあまり関係ありません。
ただそれが相手に伝わるかどうかの確信が持てないのが難点ですが、この立ち位置に初めて立った場合は、一度だけそういう体験が必要なんです。そのためには6-8年は必要なことを覚悟しておく必要があります。だからこそ、若いうちは根拠のない自信をもっていればいいわけです。
そういうものなんだと思っておけば、そのうち、6年くらい経ちます。
それに全員に伝わる必要はありません。伝わることがある場合がある程度でいいんです。そう考えれば、そりゃ、いけるときもあるだろうから、それを信じてという姿勢は取れるはずです。
その愛情は端的に言うと、 相手が50歳になったときに残っている愛情がそれです。 そういう愛情を相手が20代の時でも持てるかどうかなんですよ。
でも、逆に言うと、 そういう愛情は相手が20代の頃をしらないと男性は持てないんです 。
持てなくはないんですが、 そこに関与できなかったことが少し残念なんですよね。