尻に敷かれるではないですが、家事を手伝ってくれる多寡で、良い旦那さんねぇと評価する場面がちょいちょいあります。
そういう情報を女性同士は交換し合って、あそこの旦那さんはここまでしてくれるのに、あなたは何故してくれないの?と文句を言ったりするわけです。
でも、よくよく聞くと、自分が家でしている別の家事はあそこの旦那はしていなかったりするんですけどね。
そうやっていいとこ取り、都合のよい情報だけでつむいで、手伝ってくれる多寡や、ものを買ってくれる量や、旅行に連れて行ってくれる頻度とかで勝手に評価するわけです。
愛されてるね、と。
しかし、妻に好き放題させることが愛することではありません。
子育てだって、子供のわがままを全部聞いていると、その子供がどうなるかはわかっているから、まともな親はたとえそれを実行できるお金があってもそうすることはないわけです。
収入がどっちが多いとか、収入がないとかあるとか、家事は分担すべきとか、男女平等だとか、そういう話ではないわけです。
愛するとは、その人らしさを最大限出して上げることでした。
互いにそれを努力することでした。
二人が互いに自分らしさを発揮できるように余裕のある分、互いに家事をこなしていくのが、愛し合うということです。
旦那が皿洗いをしている間、妻がネット閲覧しているだけのこともあるかもしれません。
でも、それが彼女のスキルアップのための情報収集のことだってあるわけです。
もしくは、そこで息抜きできることで次の仕事を頑張れるかもしれないわけです。
結婚は、確かに家事手伝い育児が増えるわけですが、互いに自分らしさを発揮するのを一番近くでサポートし合う関係と考えると、結婚も愛し合うということの意味もポジティブに捉えることは出来るでしょう。