自分はたまたま父と母それぞれから片方は生田春月の生田家の血を引き、もう片方は夏目漱石の親友である菅虎雄の血を引いています。生田秋月というペンネームはそこからきているわけです(秋の理由は後述)。
なので、両方の実家には昔、夏目漱石からの手紙も多数あったのですが、夏目漱石が結核にかかっていたため、うつってはいけないと全部焼かれてしまったのが残念なところです。
先日、実家に当時の人気投票の結果をまとめた本があったので、それを紹介しておきます。
大正12年で終わっているのはその年、関東大震災があったからです。
晩年の得票数を貼っておくとこんな感じです。
生田春月 75
夏目漱石 54
島崎藤村 42
北原白秋 32
ハイネ 27
与謝野晶子 26
若山牧水 26
国木田独歩 22
トルストイ 19
徳冨蘆花 16
谷崎潤一郎 11
田山花袋 8
尾崎紅葉 5
芥川龍之介 5
佐藤春夫 3
生田春月は大正時代、ハイネの研究などをしていた詩人です。25歳のときにデビューして、38歳のときに投身自殺をしました。
彼は上の図をみてもらったら、わかるように大正6年にデビューした後、文壇で当時、一番人気だった夏目漱石を抜いて3年で一番の人気に駆け上がっていました。
そのため、全国からファンレターが多数来ており、その中で惹かれた文章を書く徳島の女性と顔も見ずに結婚しました。ところが、彼は割りとイケメンだったのですが、そこまで器量が良くない女性だったわけです。なので、家に帰ることはあまりなく、それこそ、飲みに行けば、今のクラブとかで人気だったのでしょう。浮気ばかりしまくっていたそうです。
恋愛モンスターはそれと真逆の生き方であるため、春と秋を逆転させて、生田秋月としています。
菅虎雄(すがとらお、菅原道真の血脈)は東大の文系の教授で、結核にかかって療養している夏目漱石に愛媛や5高(熊本大学)の職を斡旋した人です。菅虎雄はもともとは東大の医学部に入ったのですが、自分は医者には向かないと文系に転向した人のようです。