本音でディスったり、自分のお気持ちや評価を言うことがはばかられる日本社会ですが、逆にガス抜きとして本音が求められる局面もあります。お笑い芸人の強目のツッコミとかがそうですよね。
もう少し一般的な状況で考えると、リーダーは全体の方向性を決める時は本音で言っておかないとみんなには伝わらないけど、個人個人に本当の評価を言っていると、人間関係も回らなくなります。
また、雑用係的な立ち位置の人は本音を隠して、緩衝材として振る舞う方が結果的には組織の生産性が上がることが多いので、モブキャラに近い立ち位置の人ほど、周囲に流されることが求められます。
つまり、生産性が高い人は個々の局面では本音は言わない方がいいけど、全体最適のためには率先していうべきであり、逆に生産性が低い人は本音を言う前に全体最適のために全体の動きを作ることに協力すべきなわけです。
生産性の高さは、起点となり得るかどうかという見方もあります。
何か作ると言うより、流れや動きを作り出す起点になり得るかどうかということです。その意味であのちゃんはその起点タイプです。引っかかり、とっかかりとして機能するため、その場が普通とは違う面白い場になるための材料であったり、オチであったりするわけですが、そもそもその会話はあのちゃんがいないと始まらない。その会話が他では聞けない話になるための必須の存在であるという立ち位置を取れるなら、意見を変えない本音スタイルの人が流されずに一箇所に停留してくれていた方がいいわけです。
さらにいうと、構造さえ守られていれば、本当の本音を言う必要もないわけです。
本音で言わなきゃと場を白けさせる必要はないわけです。
場の構造や流れや動きに合わせて、一つのコマとして働く時、本音が飛び道具として使いやすいというだけという言い方もできます。
その構造と本音の関係についてクラブで説明していきます。
続きはクラブで