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処女性の高さとは何か

処女性の高さとは何か

その人が自由に行動していることが、偶然にも他者にとって好都合で、その行動が他者の好みに一致していることを「処女性」と呼んでいるように感じる。

その人自身が求愛を目的としていないとき、つまり自分自身にとっても都合が良いときでなければ、何かしら無理が生じると感じる。

また、自分に合った場所を選び取ることによって、誰もが「処女性」の高い人になれると感じる。表面的な態度や行動を変えるよりも、自分に合った場所を見つけ、選ぶことに時間を費やすべきだと感じる。


複数の処女性が高い人に出会えていないと、ちゃんとしたイメージを持てないのでしょう。それもあって、テンプレの処女性が高い人をたまにオフ会に呼んだりしているわけです。

 

彼らにとっては何の集まりかもわからないところに自分との信頼関係だけで、興味本位で来てくれているわけで、どうなるかは出たとこ勝負です。

 

もちろん、それに応えるだけの平均より上の人たちの集まりだからこそ、打てば響くし、彼ら自身も素直に楽しかったと言ってくれます。

 

オフ会に参加したことがある人なら、よくこんな知らない人ばかり、背景も学歴も生活歴も異なる人相手に上手に立ち回れるよなと感心したはずです。それが50人に1人くらいの逸材ですが、それに近いことが心からオープンでいることで得られますよと言っているわけです。

 

表面的な態度や振舞を変えるだけでは、本当の信頼を得ることはできません。嫌われてもいいから本音で勝負しないと信頼はされないのです。もちろん、それとセットで、やることはやらないといけません。

それがリーダーシップであり、全体最適です。居心地の悪さは自分の力で変えていけばいいわけです。

 

だから、いくら身体に合った居場所の研究や厳選に時間を割いても、それは手に入りません。そんな自分の都合の良い場所があると考えるのはゲームの弊害でもあるのですが、リーダーシップと全体最適の努力をした上で、そういう場でないなら、居場所を変えるというスタイルでいいわけです。

 

極論を言えば、コミュニケーションが苦手なオタクでも、オタクの友人たちと集まると饒舌になり、「処女性」が高まる可能性があるのではないか?(ただし、何か他のことを犠牲にしてそのオタク活動に依存している人は除く。一時期そういう経験をするのは良いとは思うが)。

 

これも真逆で、同じ趣味の人と集まった場合は、その熱量が測りきれないので、饒舌にはならないし、最初は下手に出て、情報収集に全振りします。こだわりの強い人の集まりゆえにその濃度の濃さを測り、どこに全体最適の落とし所があるのかを探るわけです。


処女性の高さとは、場所を選ばずにどこでも出たとこ勝負できるということです。常に知らないことに純粋な興味を持ち、持っているものでも最適解を出したり、場合によってはギアを落として場を楽しめる場にすることに集中することもあります。


自由に生きていられる。能力が高いという面もあるけど、じゃあ、能力が高い人がみんなそうかというとむしろ、逆で能力の高さゆえにそこで得られる結果に依存していることが多い。その立場を手放しいたくないというムーブをかましていることが多いです。

 

処女性が高い人はその真逆なんですよ。どこでも生きていけるから、別に今の居場所に連綿とはしないし、いつ辞めても離れてもいいというスタイルでやっている。だからこそ、自分の正義も貫けるわけです。

 

そして、処女性が高いもの同士はその正義を尊重して、おもんばかって接するから互いに心地が良くなるわけです。互いの得意なところ、こだわっているところを尊重し、活かし合うことで新たな化学反応を生み出すことができるわけです。

それがまさに新しいことへの出会いでもあるわけです。

こんな楽しさ体験したことがないという新しい体験なわけです。

だから、ジョジョの法則が働くわけです。なんか、面白い体験ができそうという期待が持てて、和分でなく、積分の効果が得られるからです。