我々は、テレビ、映画、漫画、ドラマでずっとルックスの良い男や女の立ち回りを見続けています。
根底には、ルックスの良さに将来的な子孫の繁栄や継続性を見出しているわけです。何らかの違和感を感じるルックスには何らかの遺伝子変異がある可能性があり、遺伝子の変化は遺伝し続けて修復不可能です。生殖性がなくなったら、種が絶えるため、ルックスの良さに正常性を求める原理が仕込まれているからでしょう。
恐らくこれは、恒温動物だけでなく、多くの生物に備わっている本能でしょう。
そこに輪をかけて、ルックスの良い人の生き様に作品を通して、偏見と思い込みを刷り込んでいるわけです。
プロポーションも含めて、ルックスの良さはある程度、正規分布しています。
そして、それに合わせた期待されるメンタリティーやマインドがあるわけです。
処女性の高さとは、見た目以上にマインドが強かったり、見た目を越える立ち振る舞いを見せることになります。
処女性が高い人は他人に言えない幸福感を感じ、周りの人間の時間が止まっているように見え、自分が人の何倍も生きているような感覚になるわけですから、スタープラチナ・ザ・ワールドを使えているような状態になるわけです。
自分のルックスに関わりなく、処女性の高さはそれを与えてくれるわけですが、ルックスの良い人には最初からそれを求められてしまうわけです。
なぜなら、漫画も含めた映像作品には尺があるので、その中で問題提起と悲劇であっても何らかの問題解決を示す必要があり、そのためには、演者は時空を越えた変化、決断、行動を示さないと話が動かないからです。
綺麗な女の子は、良くも悪くも、期待を越えるためのボーダーラインがかなり高く設置されているわけです。
クラブではそれについて考えていきたいと思います。
続きはクラブで