一般的には、気が合う、のりが良い、話の引き出しが豊富ということが話が盛り上がる理由と考えられますが、それについて少し分析してみます。
気が合うというのは、一つは価値観が似ている、興味の対象が似ている場合です。
特にマイナーな分野や、世間的な価値観からはないがしろにされている価値観や趣味であれば、共感しあえて、そこから気が合うと感じるわけです。
ただし、これはれんモスSと似たような状況で、レアな相手に出会えたという幻想を抱いているので、付き合いが長くなる中で、違うことを受け入れる形で入らないとけんかして疎遠になるとかのパターンがありがちです。
もう少しマイルドなかみ合わせとしては普通じゃないことを受け入れ合うというものがあります。このレベルが高くなると、タイトルのようになりますが、遠慮があるとほどほどに仲が良いで止まってしまうパターンです。
それとは逆で、価値観とか、好きなものは全然違うんだけど、互いに大事に思っている価値観が一緒で、それでいてそれが反社会的というか、一般的でない場合、意気投合することがあります。ただし、互いにレアなキャラである必要があるでしょう。
のりがよいというのは、ネタがある場合と、ネタを拾う技術が高い場合です。ただし、自律的に盛り上がってくれるので、関係性という意味ではそこまで強くなれません。相手がどんなリアクションでもどんどん押していけるタイプの人に良くあります。
話の引き出しが豊富というのは、のりがよいタイプとタイトルのような場合、どちらでも効果を発揮しますが、できるだけ普通じゃない話やネタを持っていればいるほど、盛り上がる力になります。
さて、処女性が高い場合、ある程度、ネタもありますし、それを引き出そうという姿勢も強いわけです。さらにはどんな話も受け入れて、楽しむ姿勢が大事なります。のりがよいネタが豊富なタイプは往々にして自分の話が一番面白いと思っていて、相手の話をそこまで拾ったりしないし、拾う場合も、拾い方が面白いとあくまで自分が面白い方向で盛り上げます。それはそれで楽しいのですが、バトンを相手には渡さないわけです。
処女性の高さというのは、未知なる体験を求めた自分の体験があって、それでいて、相手のそういう体験に興味を持ち、その話を受け入れて楽しむという3ステップで構成されています。そのエネルギーが高まれば、恋愛感情とか、性欲とかを越えたところで楽しむことができるわけです。
ただし、普通に目立たないように生きてきましたでは最初のステップがないわけです。
でも、2ステップ目からはできるわけです。
一度きりの人生を無難な金太郎あめ人生にするのか、こんな生き方自分だけやろにするのか。
後者がぶつかりあったときこそ、互いを認め、互いを受け入れることこそが一番楽しめるわけです。
もう一度、自分が求めるものを考えてみましょう。受け入れられた方が楽しいですよね?
そのためには、周りに合わせて、おとなしく無難にしていても受け入れられるわけじゃないんです。無視されるだけなんです。相手にされないだけなんです。
異なることを恐れていると、それが巡り巡って、自分を責めることになるだけ。
本当の安心はやりたいことを失敗してでもやりきった先にしかありません。
それこそが、人が羨むような人生でなく、人がそれは無理やわと思わせられるような人生につながっていき、受け入れられるわけです。