ぶちえらいさんが同じ料理店オーナーとしてコメントしていたので、ちょっと考えてみます。
要約すると、元々広末涼子のファンだったし、本能として抑えられないよね。という話を自分のたとえ話を混ぜながら説明しています。
まず、鳥羽周作です。世の中のハイスペック、ハイパフォーマー男子なら誰もが経験するのが市場価値が落ちた女性の卍解セクトラアタックです。
その攻撃を仕掛けてくる女性はそれなりの性的な男性経験があり、かつ、他の女性のマウントを取れるものが何もない20代か、マウントが取れるものがあっても、30代とか、40代の場合です。
ぶちえらいさんが言っているのは、男の人生一度切り。据え膳食わぬは男の恥という流れなのですが、モテの境地がわかってないし、最高の幸福感の得られ方もわかってないわけです。
今回、一番得をしたのは鳥羽周作と言われています。いろんなコラボの話が消えましたが、日本中の人に名前を覚えてもらって、かつ、イケメンじゃなかったからこそ、そんなには叩かれていません。
むしろ、広末涼子をどうやって、落としたのかという興味の対象となって、店は大繁盛です。慰謝料をいくら払っても、店の宣伝としたら十分ペイできます。
しかし、長期的にはちょっと違うんですよね。
周作はこれからモテ期に入りますが、集まる女性の質が悪いので、オフパコ行ってもそれがバレればクソ扱い、行かなくてもヘタレ扱いとなってしまいます。今でも、広末涼子さんが大好きでとても大切な人で、彼女以外は有り得ませんと言い切れるなら、また別ですが、それは社会的に無理でしょう。
広末涼子はありなし女が30代、40代と着実に45歳の悲哀コースを辿っているだけです。芸能人ですから掴みはOKなのですが、対等な関係性を作りにくいが故の孤独が続くからです。どうせセクトラはされないのだから、ドーンとオープンに構えていればいいんですけどね。結局、一般人の美人によくある無駄ガードが強くなっているわけです。芸能人ガードがあるので、一般人の美人よりはずっとオープンでいても上手くやれるんですけどね。本当は。例えば、宇多田ヒカルとかオープンなイメージがありますよね。実際はともかく。
キャンドル・ジュンは広末ジュンと名乗っている時点でただの寄生虫です。愛人のことを俺のものだと物扱いしていることからも、広末涼子からは早々に上書き消去されているわけです。
ある意味、子供を人質にとって、セックスも結婚も維持させていたような状態でしょう。
キャンドル・ジュンが本質的にしないといけないのは、本当の意味で広末涼子を愛することです。
恋愛感情では幸せになれないこと。
相手を受け入れること。
自分自身がずっと一番モテる男であること。
そして、何より自分といる時が一番楽しいと全ての人に思わせることです。
あの記者会見もする必要はありませんでしたが、どうしてもするなら、広末涼子のことは一切喋らずにあの両方壇上方式で相手のプライベートを聞き出しながら、全く関係のない話題で談笑すればいいわけです。で、それを記者が嫌がるまで続けるわけです。
それ、めっちゃ面白いですねと、相手のプライバシーに斬り込んでいくわけです。どっちがインタビューアーなのかというくらい。
あなたの立場なら自分がどう考えるのかを聞くのが一番わかりやすいでしょと言いながら、相手のプライバシーに関する自分の意見を言っていくわけです。