ちょっと前まで考えていたことです。
このブログを始めた最初の半年くらいは私の生き方は間違ってなかったんですね。ありがとうございます。というナチュラルに恋愛モンスターしていた人たちがぼちぼちいましたが、そういう人たちはあまりぐるちゃにも入ってこないわけです。
中期あたりから、いわれているようにやったら、凄く楽しくなってきましたぁという人が結構出て来ましたし、先日も何か今までと全然違う感じになってきましたという女性がいました。
しかし、ガチガード娘。よりの子はなかなか上手く行かない人も稀にいて、何度も何度も同じようなことを相談してきては、落ち着いてまた同じような状況になるといったことがあるわけです。
また、ここが変われば良いのになという子はいるのですが、このブログでは別に変わることを推奨しているわけではないわけです。
誰だって、若い頃は、スーパースターの友達のように輝きたいと思うわけです。あの才能が欲しい、自分にもそれがあったら、どんなにか楽しいだろうとか思う時期もあるはずです。
でもね、違うんですよ。彼らが輝いているのは、その才能があったからじゃなくて、その才能を発揮したからなんですよ。
その才能を発揮して、自分らしさを解放できたから楽しそうに見えるわけです。
逆に言うと、才能を発揮しても自分らしさを解放できてない人は、凄い才能があるのにつまらないだの、止めたいだのぐちぐち言ってますよね。
つまり、大事なのは才能ではなくて、自分らしさを解放することです。
人を愛するということは、その自分らしさを最大限解放できるようにサポートすることでしたよね。
その愛情を自分に向けれれば、自分らしさが発揮できて幸せになれるわけです。
なので、この子はこうすればいいのにと思うような事もあるのですが、あぁ、この子はこうなんだなと受け入れれば別段気にならなくなります。
で、最後に残るのは、周りや自分自身に対する不満がループしているタイプの子です。
ここで、三つ子の魂百までなんかなぁ?と思わされるわけです。
彼女たちが、解放せずに抑えているのは、嫉妬、ねたみ、ひがみ、嫌みといった負のエネルギーが多かったりするからです。
それは他人の恋愛テンプレ脳なり、恋愛モンスターなりでキラキラしている人に何らかのうらやましいと思えるような才能や持っている容姿や若さとかあったりするからです。
それが自分自身にないと思っているわけです。思い込んでいるわけです。
しかし、実際は、処女性がとても高く、みんなから好かれて、みんなを引き込めている子は別段特に可愛いわけではありません。
見た目だけなら、中の中や、中の下くらいの場合もあります。でも、圧倒的に魅力的にも見えるわけです。
それはそれだけ自分自身を受け入れ、解放しているからです。
より高い自分であるべきとも思っていないし、自分は所詮こんなものと卑下もしていません。
自分はもっとよくなる、もっと楽しくなると盲信できていることが結局、その処女性の高さを引き出し、保ち続けているわけです。
悩んでいる子達も別にないものを手に入れる必要があるわけではありません。
今あるもので十分足りているわけです。
自分に足りないものや人に比べたら劣ることがあると思っていても、リーダーシップを発揮していれば、それらはどんどん埋まっていきます。