多重人格小説はたまにありますが、割と色物というか、突飛な設定として扱われやすく、その多重性を楽しむみたいな展開が多いです。
一方、漫画だと内なる強キャラが表面化するみたいな形で表現されることは多々あります。
変身願望という意味ではウルトラマンも仮面ライダーもプリキュアも同じです。
もっと強くなりたい。もっと格上になりたいという欲求を仮想的に満たすエンタメとしてはわかりやすいからでしょう。
人はどっちにしても、一つの人格しか自覚できないので、二重人格とかはフィクションだと考えがちです。なので、まれに双子の入れ替わりをネタにした小説もあったりするわけです。それなら、二つ人格があってもおかしくないからです。
二重人格は一言で言うと、つらいことから逃げるときに生まれます。
DVや親からの虐待を受けまくって、これは現実ではないと思い込みたい気持ちから、そのときの記憶があいまいになって、そのときに取った言動を忘れているという状態です。
基本はこの形です。フィクションとしては、弱い方の人が優しい人で、ストレスから逃げるために生まれた強キャラが残虐というパターンが、たとえば、モンスターとかでは描かれていますが、どっちも弱いということの方が多いでしょう。
実際にあったのは、逃げたい忘れたいと感じた状況で自分が書いたものに対して、全く記憶がないということがありました。
また、つらい状況、嫌な状況で自分自身を偽って、取り繕っているうちにどれが本当の自分かよくわからなくなるといった例もありました。
これらは本人たちは困っているわけで、できれば脱したい状況な訳です。
さて、つらい状況から狂気が発生するという意味では、DV, モラハラも同じ構造なのではないかと考えてしまいます。
幼い頃に親からの暴力や激しい言動を受け、子供の時はそれから逃れることも、反論するだけの理論武装も出来ず、ただただやられっぱなしなわけです。
そして、大人になったときに、普段は優しいのに、自分の思い通りにならなかったときにチョイスされる行動が子供の頃に受けたDVやモラハラ、パワハラという例はよくあります。
蛙の子は蛙、三つ子の魂百までとはいいますが、これを変えることはできるのでしょうか?
それについてクラブで考えていきます。
続きはクラブで