ヒステリー、モラハラ、DVも含めて、怒るという感情がどこからくるのかを考えてみましょう。
怒るという感情の第1階層は、自分が期待したり、予想していたことと違うことが起こっているという認識です。
こうしろと命令していたのに、それを破ったことに対して、怒って、叱る。
こういう約束だったのに、裏切って、他のことをしていたことに対して怒る。
こういう契約だったのに、それを反故にして別のことをしたことに対して怒る。
でも、よくよく考えると、相手は確かに約束を破ったりしているわけですが、もともと約束を破るような人だったとも言えるわけです。つまり、見積もりが甘かったということです。
もし、相手がその約束を絶対破るとわかっていたら、どうしていたでしょうか?
裏を取って、こちらが有利になるようにセットアップしているはずであり、その場合、約束を破ってもらわないと罠にはかかってくれませんから、むしろ、約束を破ってくれと心の中で願うはずです。
約束を破るという意味では同じ事をしているのに、それに対して湧き出てくる感情は全く逆なわけです。
つまり、怒りの根源は現実と想定の認知の不一致なわけです。
さらにいうと、そのような不一致をいたしてしまった自分に対する怒りな訳です。
それをおまえが想定通りでないのがおかしいと八つ当たりしているわけです。
ということは、約束とは、現実を自分の思い通り、期待通りにするための悪魔のツールとも言えます。
約束を使わないといけないような相手は、要するに、相手のことをよくわかっていない、自分の認知能力の欠如とも言えるわけです。
よく怒る人というのは、霧がかった幻想の中で、どれが現実で、どれが幻かもわからずに右往左往している人ということです。
よく怒られる人は、自分が相手の期待に応えられていないダメな人間だと自己否定しがちですが、それは単に相手が自分のことをよくわかってないだけなんですよ。認知能力、受容能力が低いだけなんですよね。
戦場で常に使える人間だけが揃うなんてことはないわけです。今ある武器、今ある人材でどうあって戦い、勝つかという正確な認識と作戦を立てる必要があるわけです。
それが出来ていない、出来ない無能な上司と考えれば、少しは気が楽になるでしょう。
人生を楽しむというのは、強力なメンバーを集めて、力業で勝ち抜くことではありません。
そんなことはほぼ不可能なわけです。強力なメンバーは数が限られているからです。
そうではなくて、現状ある戦力を、最大限活かして状況に立ち向かっていくことなわけです。
いかに現状の戦力を正確に認識し、受け入れるか。
可能性も含めて、その幅を知るのが、処女性の高さでもあるわけです。