昨日、書き終われなかったので、続きを書いていきます。
どんな偉くなった人でも、先代と全く同じことをしていればいいということはないわけです。
それは社長でも教授でも総理大臣でも同じです。
時代の中で環境も設備もどんどん変わっていくので、その中で最適化だったり、最新技術を取り入れる必要があります。
しかし、大胆な一歩は時に見当違いだったり、部下がついてこられずに失敗することもままあります。
そこには組織運営の難しさが乗るわけで、偉くなるほど機動力が落ちるのは必然といえます。
つまり、組織のリーダー論という別の課題がついて回ることになり、背中で見せるか、構造改革するかといったアプローチの問題が出てきます。背中で見せるといっても、規模が大きくなれば、シグナリングとして強いものでないと裾野まで広がっていきません。
部下も同じように背中で見せるとかの構造改革が必要になってくるし、みんなが同じようにできるわけでもありません。
自分には力がない、実績がないとか嘆いている人は実はこのリーダー論の問題を抱えなくて済んでいるんですよね。
それはひいては自分が受益している社会の安定度や弱者救済システムとして恩恵を受けているのに、そこに感謝と気持ちとありがたみを感じることなく、文句を言っているので、滑稽でしかないわけです。
ある意味、成功している人を二重で馬鹿にしている構造になっています。
ずるいと思うなら、より良い社会システムを提供できる案と実行力を持って初めて言えるわけだし、それがあるなら、もう黙々とやっているでしょう。
さて、世界一という立場は先端の尖っているところにいるということです。リーダーというのは組織が付いてくるので、1人で尖った先にいるわけにはいかないわけです。
どんなに最先端の技術を持っていたとしても、それが生まれる瞬間の場には立ち会えないのがリーダーなんですよ。
つまり、世界一というのは、ある程度、孤独な環境である必要があります。
それについてクラブで説明していきます。
続きはクラブで