喧嘩や衝突の代わりに適度に外の人間関係で発散、モテて浮気された方がいいと考えるのはあまり良くないのでしょうか?
けんかや衝突は何で起こるかというと、相手はこうしてくれるだろうと期待してことと違う行動を相手が取った場合、もしくは、何もしていなかったり、してくれなかった場合に怒り出すわけですが、その真の意味は、そういう幻想を抱いていた自分に対する怒りです。
自分が想定している世界にいないんだという不安から来るヒステリーとも言えます。
けんかや衝突がなくなるのは、二つのパターンがあります。
想定外を楽しむ姿勢に転じるか、想定内でいてくれることを諦めるかです。
一緒に居て居心地が良いのは本来は前者ですが、どちらの器が大きいかで結局、どちらかが楽しみ、どちらかが諦めるという形にならざるを得ません。想定外すぎると楽しむこともできないくらい振り回されるからとも言えます。
さて、外で発散してくれというのはたまに主婦の人がいうことがあります。例えば、子供二人産んで女性の性欲もなくなってきたけど、夫はセックスを要望してくるわけです。その相手をするのはしんどいので、「外でしてくれと思うわ」という言葉をいう女性がたまにいます。それはセックスするかしないかでけんかになっているからということもあります。まさに質問と同じ状況です。
じゃあ、浮気したらどうなるかです。片方はいやいやセックスする妻と、乗り乗りでセックスする浮気相手。わざわざ、妻とセックスしようとは思わなくなるわけです。セックスが足りないなら、妻よりもさらにもう一人浮気相手を追加した方が居心地が良いと感じるでしょう。
つまり、セックスレスになるだけなんですよ。
けんかや衝突がなくなって、二人は平穏に仲良く出来るわけではなくて、無関心になるだけです。
離れる力が引き合う力になるには、引き合う方向性の力は絶対必要なんです。セックスはゼロ距離になる分、絶対引き合う力の一つになるわけですが、浮気をしているとわざわざやろうとは男も思わないので、利害が一致してセックスレスになるわけです。
また、浮気相手からしたら、夫婦の10万円のセックスを安く安く買いたたかれている状態ですから、いつかはその見返りを期待するようになって、奥さんと別れて私と一緒になって欲しいと思い出したり、それは無理だと諦めて離れていくわけです。
より刺激的なおもちゃで遊んだ子供は遊び慣れた古いおもちゃに興味を持ちますかね?
なので、浮気相手が離れていったあとで、やっぱり妻がとはならないわけです。
浮気されても自分は魅力的だという謎前提があるわけですが、外で発散した上、妻とのセックスには興味ないと思われている時点でそれは破綻しているわけです。
そうならないためには、セックスには応じる。外の女以上に常に新しい魅力を出し続けることが必要になるし、それは男側にも言えることです。
モテて浮気される方が楽ということは、自分の方が格下になるということです。
モテて浮気したかったら、してみたら、外の女が私を越えられる訳なんてないけどねくらいのメンタリティーがあってはじめて浮気対象の女より格上になれるし、自分の想定内で相手を成長させられるわけです。想定内だから不満も減り、けんかも衝突も少なくなります。
浮気相手への他者依存で自分が小さな人間になるか、自分の器を大きくして衝突を避けるようにするかという話をしています。