恥ずかしいからやらないというにはちょいちょい聞く価値観というか、ステートメントです。
恥ずかしいというのは、別の言い方をすると、みっともないということであり、体裁が悪い、見苦しいとも辞書には書いています。
これは本来の自分よりも尊厳に見せようと振る舞っているけれど、実際のあなたはそんな偉い人じゃないですよねと他人から思われるのが嫌だというのが心理的な動きです。
私はそんな器じゃないという謙遜であることもありますが、責任を負わないといけなく、それを上手に処理する自信もないのでめんどくさいから嫌だとか、本来の自分と思っている様よりも立派な態度を取らないといけないのは自信がないから嫌だという表明でもあるわけです。
実際、恥ずかしいから嫌だという状況は自分が未経験の立場で、意見表明しないといけないことも多く、何を言ったらいいのかわからないということは多いし、わかっていても、適切な言い方がわからないとか、それもわかるけれど、それをいうことで、周りのことを下に見ていたと思われるのが嫌だということはあり得るでしょう。
具体的にいうと、乾杯の挨拶とか、会議の取りまとめ役とかですが、同時にそんなめんどくさい立ち回り役をしなくても自分は組織で生き残っていけるという自信があるともいえます。
一言で言うと、保身です。
まぁ、守っているようでジリ貧の道を選んでいるだけなのですが。
昔、カンファレンスで、そんなことも知らんのかという質問を繰り返ししていた一年生がいました。
場にはお前はバカで要領が悪いからなという雰囲気が漂っていました。
その彼が10年後、外の病院で研修して来て戻って来たのですが、何々の何年の論文ではこう報告されていますが、これはこういう風には考えられませんか?といった質問をするようになっていました。
その時の雰囲気は、こいつに比べて、普段から勉強していない俺らは恥ずかしいというものでした。10年の時を経て、立場が全く逆転していたわけです。
ここまで書いて、あぁ、なるほどと思ったことがあるので、それについてクラブで説明していきます。
これは自分もしていなかったことですが、習慣化することで成長度が圧倒的に変わる方法であり、かつ、別に恥ずかしいことをしなくても成長できる方法です。
続きはクラブで