ただ数を伸ばさないと質が高い人に出会えないから、卵と鶏論になるわけです。
で、質とは何かというと、レアな体験です。
自分では体験できない経験です。
処女性の高さを重視するのは、処女性が新しいことを体験することに対する貪欲さだからです。
なので、処女性が高い人ほど自分が知らない世界を知っている可能性が高いわけです。
そうすると、海外の人とかそうじゃんと言えば、その通りです。
世界最先端の情報発信しているアカウントとかも大事になってきます。
ひるがえって、自分自身にそれがあるかです。
例えば、引きこもりのニートであっても、レトルトのA とB を混ぜると美味しいといった人が体験しない情報を得ることはできます。
よくあるのはたとえば、マッチングアプリで知り合ったAもBもCも大したことないといった嘆きですが、出会いの多様化が出来てないからです。出会うための場所じゃない生産性を目的としたところに顔を出していないからでしょう。
生産性というのは、今の自分に必要なものだけでなく、将来の自分の生き方に役立つかもしれない情報です。それはアイデアのこともあるし、やり方のこともあるし、経験のこともあります。
そして、その意味で情報源は別に異性だけじゃなくてもいいわけです。同性でもネットでも。れんモスの数を重視するのは、説明してもらえる時間と質問する時間を大幅に確保できるからです。もちろん、そこで生まれる個人的な信頼感が幸福度を上げるという効果もありますが、そのためには価値ある情報や体験が必要なので、卵と鶏問題でもあります。ただリアクションで横殴りのフックをいっぱい打てるなら自分独自の情報はそこまで必要ではなくなります。相手にとって、その体験自体に価値が出てくるからです。自分ディスりも含めて特定の価値観に囚われてなければそれも可能でしょう。
とはいえ、1番大事なのは自分自身が情報源になることです。
他の人が体験できないことにフルコミットして得られたものをどれだけため込めるかです。