プロ奢ラレヤーとか、街録チャンネルの人って、フィールドワーク主体の社会学者と、承認欲求と自己顕示欲を満たしてくれる外部サービス業者を兼ねた人っていうのが新しさなんでしょう。
プロ奢ラレヤーは取材する方が奢られるという構造で、普通なら偏見や色眼鏡で見られる人とか、逆に何も取材対象がなさ過ぎる人が、いろんな人を見てきた人にフラットな視線で取材してもらえるというところに価値を見出し、お金を払っています。
でも、そのおかげで普通なら絶対にリーチできない犯罪行為をしている人にまで安全にアプローチできるわけです。
ただ飯で食ってるだけじゃんというのは間違った見方で、今の社会を綺麗に忖度なしに切り取るジャーナリストで、対価を社会から直接受け取っていると見れば、ある意味、最も効率よく、かつ歪んでないメガネで取材できている有能なジャーナリストとも言えます。
一方、街録チャンネルは、その再生数で一つの報道チャンネルとしての価値があり、視聴者の素朴な疑問を忖度なしで聞いてくれるので、自分のことをフラットな目で知って欲しいという人の反論の場としてうまく機能しているわけです。
これらを見ることは、まるで処女性をあげる新規体験をしているようにも感じます。
しかし、注意しないといけないことが二つあります。
一つは結局、自分自身は新規体験をリアルには何もしていないということです。処女性とは関係性のことです。
自分1人でスマホを見つめているだけで、それは漫画や映画を見ているのと何ら変わりません。自分自身は成長していないただの消費者のままなんです。
やるなら、プロ奢ラレヤーに直接奢って、かつ、彼が2回目も会いたいと思わせられるかどうかでしょう。
二つ目は彼らから得られるのは、負け戦の現状を知れるだけということです。
マジョリティーで、社会を動かしている方の権力者側の論理や視界は見せてくれないわけです。隅っこの方の迫害されている人の立場を裏側から見ているだけということです。
これが社会の縮図だとか、真実だとか思わないことです。
どちらかというと、これらを見ているだけで何もアクションしていない自分こそが社会の縮図です。
マイノリティーの負け組と、マジョリティーを支配している勝ち組がいて、残りのほとんどが本当の意味で、何もしてないマジョリティーです。
それらの差は、行動しているか、していないかです。
行動していることに憧れるのは良いですが、行動している人は憧れからは行動していません。
その差に気付けるかどうかが一番の違いになります。