ブログでは、便器とか桃とか処女信仰とか、女をモノに例えた記事がありますが、日本の男の多くが、女をモノ認識してるって事ですか?そんな知性の低い人達にはむしろ関わりたくないです(・∀・)
女も結婚向きの男を「優良物件」「ATM」「永久就職先」って呼んだりするし、モノ扱いは女性側も大概なんじゃないか、、?と思う。言わないだけで
美人、可愛い、面倒見がよい、若い、処女、イケメン、高収入高学歴高身長などなど所有物、飾り物ファクターとしてパートナーを求める向きをモノとして見ていると考えるわけですが、一番大事な点はモノとして見て、仮に手に入ったとして、それで本当に本当に満足できるのかということです。それが本当に最高の体験なのかということです。
人は欲しいものが手に入ったと思ったら、急にその情動が冷めてしまうのを何度も体験しているはずです。手に入ったら、別のおもちゃが欲しくなるのが人間です。
また、モノとしての価値はいくらでも上がいるわけです。
さらにはモノには使い方というものがあります。5億円あったとしてもそれをどう使えばより満足度が上がるかは別の話です。
結局、一番大事なのは、期待を越える体験をどれだけ継続できるかです。
米国株なら、ガイダンスや予想EPS, 予想売り上げをどれだけ越え続けられるかです。
越え続けられた企業だけが株価が上がっていくわけです。
モノとして見られていたとしても、それをどうやって越え続けられるかが一番大事なわけです。
もう少し具体的に例を挙げてみましょう。
この人は美人で、トロフィーワイフとして最高だと本音で思っている相手と
この人の中身は最高だ、絶対怒ったりせずに、優しくて、強くて、みんなに対して平等に女神のように接する人だと思っている相手と
どちらがやりやすいですか?女神のように思われる期待を越えられるんでしょうか?
モノとして見られたくないの本質は何でしょうかね?人間性を見て欲しいんですかね?で、その人間性は他を圧倒するほど凄いんでしょうかね?
人間性に自信がある人は、人間性を見て欲しいとか思わないですよね?
どんな悪条件でも、自分の信じた生き方を貫く覚悟があるから、そんなことは思わないんですよ。別にどうでもいいことなんですよ。他人がどう自分のことを見ていようが。
モノとしての価値は掴みですごく有効なんですが、問題はそのあと、どう展開できるかなんです。
で、モノとして見られている状況は凄くやりやすいです。
乗り越える基準がそのモノとしての基準に過ぎないからです。さらにそれを越えていったときに相手もモノとしての基準を越えられるかどうかです。一番大事な分岐点はそこです。そこを越えられない相手の優先順位は勝手に落ちていくだけです。むしろ、そこで相手のモノとしての価値にこだわるべきではないんです。そこでモノとして価値を見出しているとアウトです。すごく遠回りになってしまいます。もうちょっとわかりやすく言うと、処女性の低さが目につくけれど、お金持ちだから距離を置くか悩むとかです。
なので、最初にモノとして見ているかどうかじゃないんですよ。見分けるべきポイントは。
そんなもの全部チャラにできるくらいぶっ飛んだ面白さを提示できるかです。不安に思うならその部分を思うべきでしょうし、鍛えるべきはそこです。
これ、逆に言うと、モノとしての価値は低い方がよりやりやすいとも言えます。
自分はモノとしての価値が低いと嘆く人もいますが、それはクリアする基準が低いと同義ですから、こんなにやりやすいことはないです。ギャップ効果を作りやすいということです。
この辺の考え方をもう少し細かくクラブで分析してみます。
続きはクラブで