ハーバード大学の75年間にわたる追跡調査によると、人間の幸福や健康は「年収、学歴、職業」ではなく、「いい人間関係」で決まるそうです。しかも、友人の人数は関係なく、たった1人でも心から信頼できる人がいるかどうかが重要とのこと。全員と仲良くする必要はありません。友人は量より質。
— かしま┃ヘルシーな働き方 (@kashima_hr) 2021年5月24日
こんなtweetを紹介されたのですが、大きな勘違いをしているので説明していきます。
質は量からしか生まれません。
あたりまえですよね?
100が最高品質だとして、一人いればよいと56の人だけキープという態度を取っている人ともっといい人がいるかもしれないと200人や1000人と関わった人の方が83の人や92の人に会える確率はずっと上がります。
それとたった一人の信頼できる人は誰で、どこから現れるんですかね?
信頼を得るにはそれなりに時間が必要です。
すると、クラスが一緒だったとか、会社が一緒だったとか、それなりに時間をともにする相手に絞られます。
でも、それって、あまりにもくじ引き率が高すぎるんですよ。
偶然の出会いに、必然性を感じたいのはわかりますが、「by chance」という偶然の確率は確率を上げようという姿勢で得られる確率と比べると雲泥の差となります。
さらに言うと、質の高い信頼できる相手は、そういう相手としては現れないことが多いですよね。
自分の例だと、高校の時の連れは、高校2年で同じクラスになった子ですが、高2の1学期に唯一クラスで話したことがない、そりが合わなそうな子でした。最初、話すのを敬遠していた子だったのです。
それとれんモスで言うと、れんモスGの人とかだと第一印象は悪いわけです。
つまり、こちらの期待や予想があって、それをbeatした人が信頼できる相手になるという構造があるわけです。
最初から気が合いそうというのは、その気の合い方に対して期待や予想があるので、時間が経つほどに評価がさがっていったり、予想通りということで魅力を感じなくなっていったりするわけです。
で、その後に意外にこうだったということが繰り返されて本当に仲良くなったりします。
つまり、最初から印象が良かった人は良い悪い良いの3段階を経る必要があるわけです。
つまり、求められるのは決めつけない態度です。相手に対する印象もそうだし、信頼できる人は一人だけでいればいいといったことを決めつけないことです。
さらにいうと、何らかのステップを踏んで信頼できる相手ができたとして、その相手はずっと近くにはいません。転勤、病気など二人を引き離すイベントはいくらでも起きます。
それは配偶者であっても同じです。そして、年を取るほど、そういう相手は見つかりにくくなってきます。出会いの機会も、共有できる時間も限られてきます。すると、短い時間でも相手との信頼関係を築ける技術や経験が必要になってきます。それは相手を絞ったり、限ったりしない態度でないと得ることは出来ません。
仮に配偶者が一番信頼できるとして、その人さえいればいいと考えたとしても、その一番は何を比べて一番なのですか?ということです。
人は常に変化し続けます。ここが一番だと言えるところも質的に変化していくし、誰と比較して一番なのでしょうか?
そこにぶつける相手こそ、信頼できる人であるべきなんです。そうすることで、配偶者の魅力を再度確認し、さらに配偶者自身も魅力を上げる必要が出てきますし、自分自身も魅力を上げる必要が出てきます。
相手のことがわかりきって、空気のような存在になり、無関心とセックスレスの関係になるのと、相手が常に変化し、自分自身も成長させないと置いてきぼりなるような状態で互いに切磋琢磨できる関係では本当の意味での信頼関係の成長具合が全然変わるわけですよ。
たった一人しか信頼できる人がいない人は、そこに疑心暗鬼が生まれたら、ゼロになるわけです。疑心暗鬼が生まれないほどの関係は、他にも信頼できる人がたくさんいるという状態でないと得ることは出来ないんですよ。あっちがだめでもこっちがあるという状態でないと、信じ切ることは出来ないんですよ。つまり、質を上げるためには量が絶対必要なんです。