ヒステリー、メンヘラ、モラハラもそうですが、落ち込んでいるとか、人を信じられないとか、世の中がにくいとか言っている人は、そういう世界観に落ち込むことが心地よい、そこになら逃げられる、自分を正当化できると感じているわけですが、本質的な問題はそもそも周りの世界に対する認識が間違っていることです。
わかりやすいのは、本人が自分の周囲1メートルの箱に歪んだ認知の世界を映し出して、それがリアルかのようにその箱の中で反応し、叫んでいるようなものなわけです。
現実はもっと静かです。自分のことなんか世間は誰も気にしていません。
悲劇のヒロインやヒーローになりたい病と言ってもいいですが、ということは何らかの逆転劇も期待しているわけです。しかし、そうやって、叫んでいる間は状況はどんどん悪くなるので、逆転劇の可能性はどんどん減っていきます。
ところが、本人はそのことを全然意識できていないんですよね。
自分が他人を信じることしか、世の中には信じられるものはなにもないわけです。
自分が他人を愛することしか、世の中で愛を感じられるものはなにもないわけです。
自分が欲しいものは自分が与えない限り得られることはないわけです。しかも、それが得られたから嬉しいとか、よかったとか、成功したとかでもないわけです。
昨日書いたように人の気持ちはぶれるので、それらがコンスタントに与えられるわけでもないからです。だから、自分が与え続けることでしか安定は得られません。
キャパオーバーで爆発している人は、そもそもそのキャパ認識が間違ってるともいえます。自分はもっとできるはずなのにという深層心理や自己認識のセッティングとのずれがヒステリーやモラハラにつながっているわけですが、本当はできない自分を受け入れるしかありません。
それらに対して、周りができることはなにもしないことです。励ますことでも、反撃することでもありません。相手の主張をオウム返ししていくことです。そうすると、そもそもその主張は間違っていますから、相手は自分が間違ったことを言っていることを徐々に認識します。こちらは冷静に底がない沼のように、のれんに腕押しで相手の主張をそのまんま返すだけです。自分が言っていること、やっていることを強く認識させることに集中させることです。そこに自分の評価や感情を入れてはいけません。なになになんですねと機会的にオウム返しするだけです。
意識するべきことはその中でこちらの気持ちや感情はできるだけブレないようにすることです。かっとなって反撃したり、攻撃したり、本心でもないのに共感したりすると余計に迷路に迷い込みますよということです。