密かに人気のある記事の続きです。
molove.hatenablog.com
名前は何でも良いのですが、貞宗でも、エクスカリバーでも、風林火山でも、鳳凰天舞でも、紫煌剣でも。
でも、イメージ的にはファガンが持っているような刀です。
www.google.com
上記の記事を書いた頃は抜刀斎が持っているような軽量で抜きやすい刀のイメージだったのですが、ここ2,3年で抱く刀のイメージはもっと太くて重くてきらびやかでありながら、簡単に抜いて使いこなすことができるんだけど、抜かないというイメージです。
誰もこんな剛刀持ってないよなというイメージです。
前の記事では、抜くことは相手のにしろ、自分のにしろ、セックスへの欲求を叩き斬るみたいなイメージでしたが、ここでは抜くことはセックスすることに近いです。もはや、斬るものでもなくなっているわけです。
恋愛モンスターをしていると、簡単にセックスできる局面が来ることがあります。恋愛工学やオネステ、ストナンでも来ることがあるでしょうが、決定的に違うのは、騙すとか使い捨てるとかではなく、同意のもとにやって、しかも、それとても、切れない関係。セフレ契約をしなくても、阿吽の呼吸で、それはそれとして関係性がそのあともずっと成り立つくらいの信頼感がある状態になったりします。
でも、しないわけです。それは、別に倫理観とか、不倫だからだとか、そういう理由ではありません。何なら、互いにしたいと思っててもいいわけです。で、普通ならするよねという状況でもしないことで、誰も体験したことのない世界を見られるという意味合いもありますが、やってしまうと、何よりこの剛艶刀がなくなってしまうんですよ。
そして、やってしまうと、じゃあ、どの状況ならやってよくて、どれならだめなのかという線引ゲームが自分の中で起こってしまい、そして、それは往々にして自己のその時の欲求に任せてぶれぶれになるわけです。
落ち武者の子でも、恋愛モンスターをするぞと決めた時にその後はしっかりとロックがかかって、ぶれぶれ感がなくなっているので、別に非処女でもいいわけです。要は覚悟の問題です。そのあと刀の質がどんどん上がっていきますよという話をしています。
モテに対する圧倒的な自信ができると、惹きつけたときも、逆にフェードアウトしていったときも、長い時間の中でのちょっとした出来事として俯瞰して見られるようになってきます。それに対して、構えるわけではなくて、すごくリラックスした状態でいられて、それでいて、いつでも抜けるけど、抜かないという余裕の状態です。
モテというのは、信頼感です。恋愛感情はむしろ邪魔で、それでいて、恋愛関係よりもずっとリラックスして安心できて、時にドキドキもできるわけです。そういういろんな感情のうねりをそのうねりのまんま楽しめるということです。そのときに剛艶刀の存在が碇(いかり)となって、自分が流されないように定点でいさせてくれるわけです。
悔いのない人生というのは、誰も体験したことのない世界の積み重ねでしか得られません。
それは時に無駄だったり、間違っていたり、勘違いだったり、徒労だったりすることもありますが、それでも、積み上げたい体験の方向性がしっかりしていれば、自然とそれが積み重なっていくわけです。そのときのお供が剛艶刀です。
何も語りはしませんが、自分の代わりにそこにずっとありのままの姿でいてくれる。
変わらないからこそ任せられる、安心できる相棒のような存在です。
人は弱い存在です。でも、弱くていいんですよ。自分が強くなろうとするんじゃなくて、刀の存在が強さを担保してくれるわけです。だから、逆に自分はちゃらんぽらんでいいわけです。刀が刀でいられるように立ち振る舞ってさえいれば、あとは全部自由なんですから。